
おはようございます
5連休の真ん中の月曜日の朝です
昨日は一日中ずっと事務所で作業
申請書類の作成と資料整理の一日
午後には来客1件あり打合せなど
オンライン申請で1件申請
で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第17回
武田信玄が挙兵し遠江へ侵攻すると
三方ヶ原で迎え撃った家康は大敗
合わせて義昭も京で挙兵、信長は絶体絶命
と思われたがなぜか急に武田軍が撤退
身体極まった義昭はついに、、、、
危機を脱した信長は浅井朝倉攻めを再開し
進退極まった長政は小谷城に籠城する
小一郎と藤吉郎は何とか市らを
救い出そうとするが・・・
今回のストーリーはこちら
→豊臣兄弟公式サイト
今回はオープニングが省略されどうしたと思いきや
武田信玄挙兵→三方原の戦い→足利義昭挙兵→
武田信玄死去(武田軍撤退)→足利義昭追放→
一乗谷の戦い(朝倉滅亡)→小谷城の戦い(浅井滅亡)
という4話分くらいのボリュームを
早送りで進めたような回でした
色々と興味あるところばかりですが個人的に
関心があるのは追放された足利義昭のその後
室町幕府最後の将軍足利義昭は1573年に
織田信長によって京都を追放されここに
室町幕府は事実上の終焉を迎えたとされています
しかし義昭自身は決して将軍としての立場を
手放したわけではなくその後も再起を図り続けます
京都を追われた義昭ですが畿内各地を転々とし
かつての有力大名たちに支援を求めました
しかし懇意にしていた朝倉義景や浅井長政に
期待を寄せるも両者は信長との戦いに敗れ滅亡
義昭の再起構想は大きく揺らぐことになります
それでもなお諦めなかった彼は
西国の有力大名である毛利輝元を頼り
1576年に備後国鞆(とも)へと下向したようです
※鞆=広島県福山市
いわゆる「鞆幕府(ともばくふ)」と呼ばれるこの時期は
義昭は形式上とはいえ将軍としての活動を継続し
諸大名に対して御内書を発給するなど
幕府再興への望みをつなぎ続けました
すでに中央政権としての機能は失っていますが
義昭の中では「将軍」という立場は依然として
生き続けていたということです
転機が訪れたのは1582年に本能寺の変により
信長が明智光秀の謀反で倒れた出来事でした
この混乱の中で台頭したのが豊臣秀吉
義昭は秀吉と和睦しその庇護のもとでついに
京都への帰還を果たします
追放から実に15年後のことでした
帰洛後も義昭はしばらく将軍としての立場を
保っていましたが1588年ついにその地位を
正式に辞し出家することとなり
ここにおいて名実ともに室町幕府は
歴史の幕を下ろすこととなりました
ただし注目すべきは義昭がこの時まで
将軍職にあり続けたという事実かもしれません
政治的実権は完全に失われていたとはいえ
「室町幕府はいつ滅びたのか」という問いに
一石を投じる存在でもあります
その後の義昭は秀吉政権のもとで余生を送り
1597年に大坂城にて生涯を閉じました
戦国の動乱に翻弄されながらも最後まで
将軍としての誇りと再起への意志を持ち続けた
人生だったと言えるでしょう
※小谷城の戦いから本能寺の変まで約9年
次回秀吉は長浜城を築いて城持ち大名に
第18回「羽柴兄弟」
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
「【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!第17回」」へのコメント
コメントはありません