【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第18回!

 

おはようございます
5月も2回目の月曜日の朝です

昨日は一日中事務所で作業
午前中には来客2件対応打合せ
午後は申請書類の作成の合間に
来客3件対応打合せ

で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第18回

秀吉は織田家家老に昇格し北近江を拝領
領地には長浜城を築いて城持ち大名となり
小一郎と共に羽柴姓を名乗り始める
小一郎は城下の統治を任されるが
人手が足らずにてんてこ舞いの状況に

今回のストーリーはこちら
大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト

劇中では秀吉らは初めて城持ち大名として
その出世ものがたりも新たなステージを迎えます

その長浜城は戦国時代に豊臣秀吉が初めて
築いた居城として知られていますが
現在の滋賀県長浜市で琵琶湖のほとりに
位置し「出世城」とも呼ばれた名城でした

長浜城は天下人へと駆け上がった豊臣秀吉の
原点ともいえる城であり戦国史を
語るうえでも欠かせない存在となっています

もともと、この地域である北近江は
戦国大名浅井長政の領地とされていました
しかし浅井長政は義兄である織田信長と対立

1570年の「姉川の戦い」で浅井朝倉連合軍は
織田徳川連合軍に敗北したのちに浅井長政は
居城である小谷城へ撤退を余儀なくされます

しかし奮闘も虚しく織田軍の包囲を受け
1573年長政の自害により浅井氏は滅亡
同盟関係にあった朝倉義景も同じく滅び
織田信長は北近江を完全に平定しました

この戦いで大きな功績を挙げたのが
豊臣秀吉でしたが秀吉は信長から
浅井氏旧領のうち12万石を与えられます

秀吉は「今浜」と呼ばれていた地に対して
主君信長の名から一字を取って「長浜」と改名
そして新たに長浜城を築き城下町を整備
これが現在の長浜市発展の基礎になった
とも今でもいわれているようです

築城に際しては廃城となった小谷城の
資材も利用されたと伝えられており
まさに浅井氏から豊臣氏への時代の
移り変わりを象徴する城だった訳です

しかし1582年に「本能寺の変」により
織田信長が倒れるとその後の「清洲会議」で
長浜城は柴田勝家の支配下となりました

やがて豊臣秀吉と柴田勝家は対立し
「賤ヶ岳の戦い」が勃発しますが
戦いに勝利した秀吉は再び長浜城を
取り戻し家臣であった山内一豊などか
城主となることとなりましたが
1615年に出された「一国一城令」により
長浜城は廃城となりました

廃城後の長浜城の建物は解体され
資材の一部は彦根城へ移築されたと
されていますが長浜城の大手門は
長浜別院大通寺の台所門として
また搦手門は知善院の表門として現存し
当時の面影を今に伝えて存在しています

現在長浜城跡は豊公園として整備され
市民や観光客の憩いの場となっています
園内には天守閣のような建物がありますが
これは戦国時代の長浜城を復元したものではなく
1983年に建てられた長浜城歴史博物館です

この博物館は犬山城や伏見城をモデルにした
城郭風建築で内部には豊臣秀吉や長浜の
歴史に関する展示が充実しています

最上階の展望台からは琵琶湖を一望でき
その美しい景色は訪れる人々を魅了しています

長浜城は、単なる戦国の城ではなくそこには
豊臣秀吉の立身出世の物語と戦国乱世から
天下統一へ向かう日本史の大きな
転換点が刻まれているとされています

次回、小一郎は慶の悲しい過去を知る
第19回「過去からの刺客」

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

 

「【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第18回!」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください