
おはようございます
9月2回転目の月曜日の朝です
昨日は一日中事務所で作業
ひたすら申請書類の作成
午後になり来客3件あり
来客2件あり対応打合せ
あとはひたすら申請書類の作成
オンライン申請で1件申請
で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第35回
徳川家康の後ろ盾を得て織田信雄が挙兵
小牧山城に籠城する徳川軍に対して
池田恒興はあえて岡崎を攻め城から敵を
おびき出す策を提案、かつて宮部家へ養子と
なったともの子三好信吉が作戦の大将となるが
徳川軍の奇襲で羽柴軍は大敗する
戦が各地に広がり膠着状態に陥る中
小一郎は丹羽長秀のある言葉をきっかけに
現状打破の糸口を見つける
今回のストーリーはこちら
→大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト
今回は小牧長久手の戦いの後半でした
この戦を通して徳川家康はその圧倒的な
武力を示すこととなり秀吉亡きあと
後の天下統一にを果たすこととなりますが
しかし家康一人の力だけで天下を
取ることができたわけではありません
その陰には長い年月にわたって家康を
支え続けた多くの優秀な家臣たちがいました
その中でも特に有名なのが
「徳川四天王」と「徳川十六神将」
まず「徳川四天王」とは
酒井忠次
本多忠勝
榊原康政
井伊直政
この4人を指しますが
4人とも家康の天下取りを支え江戸幕府の
基礎づくりにも大きく貢献した武将
いつ頃から「四天王」と呼ばれるように
なったのかは定かではありませんが
1586年には本多忠勝、榊原康政、井伊直政の
3人が「徳川三傑」と呼ばれていたとされ
その後家康の最古参の家臣である酒井忠次を
加えた4人が「徳川四天王」として
知られるようになったといわれています
では、この4人はどんな人物だったのでしょうか
酒井忠次は
家康より34歳年上の最古参の重臣
家康がまだ若かった頃から仕え
軍事面だけでなく家臣団を
まとめる役割も果たしました
本多忠勝は
57度の合戦に出陣しながら
一度も傷を負わなかったという
逸話でも知られる猛将
「蜻蛉切」と呼ばれる名槍を手に
戦場を駆けたまさに徳川軍の武の象徴
榊原康政は
若くして家康に仕え武勇だけでなく
政治的な能力にも優れた人物
徳川家の発展に大きく貢献しました
そして井伊直政は
四天王の中では最年少で赤備えの
軍団を率いて戦場で活躍し
関ヶ原の戦いでも大きな功績を挙げました。
そしてもう一つ忘れてはいけないのが
「徳川十六神将」
これは徳川四天王に加えて
家康の天下統一を支えた
12人の功臣を合わせた呼び名
代表的な顔ぶれには
大久保忠世
大久保忠佐
高木清秀
鳥居元忠
鳥居忠広
内藤正成
蜂屋貞次
服部正成
平岩親吉
松平康忠
米津常春
渡辺守綱
などが挙げられます
ここで面白いのは、「四天王」や
「十六神将」という呼び方
これは単なる武将の
ランキングではありません
仏教の「四天王」や「十二神将」などを
意識した表現と考えられており
徳川家康を中心にその周囲を守護する
存在として家臣たちを顕彰したもの
とも考えられています
そしてこの話から私は一つのことを感じます
どんなに優れたリーダーでも一人では
大きな仕事を成し遂げることはできない
家康がすごかったのはもちろん本人の
忍耐力や決断力もあります
しかし同時に自分を支えてくれる
人材を見つけその能力を活かしたことも
天下統一の大きな要因だったのでは
ないでしょうか
人生でも仕事でも同じです
「自分が頑張らなければ」と思うことは大切ですが
すべてを一人で背負う必要はありません
自分にはない才能を持つ人を認め
その人に力を発揮してもらう
そして、自分もまた誰かにとっての
「四天王」の一人になる
そんな関係を築けた人は
きっと一人で頑張る人よりも
もっと大きなことを
成し遂げられるのだと思います
家康が天下を取ったのは
家康が強かったからだけではない
家康を支える「人」がいたからこそ
徳川家は天下を取れた
徳川四天王そして徳川十六神将
彼らの名前を眺めていると
成功とは「一人の力」ではなく
「人と人との力」が積み重なって
できるものなのだと改めて感じます
次回は秀長が四国責めの総大将に
第36回「姫若子と鬼若子」
という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!
「【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第35回!」へのコメント
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