【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第42回!

 

おはようございます
11月最初の月曜日の朝です

昨日は朝一から資料整理などののち
市内で行われた集まりに参加
午後からは所用対応をしてから
事務所で申請書類の作成と資料整理
来客2件あり対応打合せ

で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第42回

豊臣秀吉が普請させた京の聚楽第が完成した
甥の秀次はその祝いに盛大な茶会を開くことを提案
時期尚早だと秀長は反対するものの秀吉は
利休に命じて大名も商人も百姓も参加できる
大茶会を北野で催すことを決めた
茶会は盛況となるが会場で刃傷沙汰がおこる

今回のストーリーはこちら
→大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト

今回は北野大茶湯のくだり
これは豊臣秀吉が主催した空前の規模を誇る茶会
当時の茶の湯は単にお茶を楽しむ文化ではなく
千利休らといった茶人や有力大名、豪商たちが
集まり文化や政治、人間関係を築く重要な場

秀吉は九州平定を終え天下統一へと大きく
前進していた時期でしたが
その時期に秀吉が敢えて大規模な茶会を
開いたのはなぜだったのか?

天正15年(1587年)10月1日に
京都の北野天満宮で開催された北野大茶湯には
秀吉のほか、千利休、津田宗及、今井宗久
といった当代を代表する茶人たちが参加

秀吉は自らの秘蔵する名物茶器を公開し
境内には数多くの茶席が設けられ
参加者は800人余りとも伝えられ
茶席の数も800から1500以上と諸説あります

一般的には九州平定を成し遂げた秀吉が
その財力と権力を天下に示すとともに
茶の湯を通じて人々を結びつけることが
目的だったと考えられているようです

一方では少し違った見方として
単なる文化イベントではなく
茶の湯を通じて全国の大名や有力者や
さらには庶民にまで豊臣政権の存在感を
浸透させる政治的な演出と解釈もあります

つまり武力だけでなく文化によっても
天下を治めようとする秀吉らしい政策であった
ともいえるのかもしれません

しかしなぜ1日で終わってしまったのか?
実はこの大茶会は当初10日間の予定だった
にもかかわらずわずか1日で終了してしまいます

その理由についてはいくつかの説があります
通説として有力なのは、肥後国(現在の熊本県)
で発生した国人一揆の影響
九州平定後、肥後を任された佐々成政の
検地政策に反発した国人たちが一揆を起こし
その対応が必要になったというものです

一方、少数説や別の見方としては秀吉が
予定していた目的を初日で達成したため
あるいは参加者や運営上の事情などから
早期終了した可能性も指摘されています

中止の真相については現在も
決定的な結論は出ていないようです

北野大茶湯の歴史的な意味は単に大規模な茶会を
開催したということだけではありません
秀吉はかつて身分の低い出自から身を起こし
武力によって天下統一を進めた人物

その秀吉が今度は茶の湯という文化を利用して
人々を集め自らの権威を示そうとしたことに
大きな意味がありました

さらにこの茶会から約半年後の天正16年には
聚楽第に後陽成天皇を迎える行幸が実現します

武力、政治、文化、そして朝廷の権威までも
巧みに利用しながら天下人としての地位を
固めていったということです

しかし劇中では秀次が秀長に対して
ある思いを抱いているようでその辺が
ラストに向けてどのように
影響してくるのでしょうか?

次回、刀狩令とその影響は
第43回「殿下の刀狩り」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

 

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