実は私は「仏の顔も三度まで」ってずっと
思っていたんですけれども実は
この言葉は「まで」をつけるのは
間違いだってご存知でしたか?
実はこの言葉は正確にいうと
「仏の顔も三度撫づれば腹立つる」
の略なんだそうです
この「三度」というのはいくら
慈悲深い仏様でもその顔を
三度も撫でれば怒るという事から
「普段どんなに優しくて滅多に
腹など立てないような人でも
あんまり度が過ぎると怒りだす」
という意味になるんです
ではここでなんで3度なんだろう?
4回目くらいまで大目に見ろよとか
2回目で怒れよとか思いませんか?
実はここには次のような
ストーリーがあったようなんです
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お釈迦様(仏様)が生まれた釈迦国の隣に
コーサラ国という強大な国があった
コーサラの王は妃を釈迦国から
迎えたいと申し出たのですが
釈迦国の王は武力に物を言わせる
コーサラ国に王女を嫁がせるのを
快く思わずある富豪が身分の低い女性に
生ませた娘を身分を偽ってコーサラ国に
嫁がせたんだそうです
その娘が生んだ王子はやがて自分の
出生の秘密を知り王位を継いだ後
恨み募る釈迦国を滅ぼそうと出兵します
これを聞いたお釈迦様は
釈迦国へと続く一本道にある
枯れ木の下に座禅して兵を待ちます
「お釈迦様、他に繁った木があるのに
なぜ枯れた木の下にお座りですか?」
と王はお釈迦様に尋ねました
「王よ枯れ木でも親族の木陰は
涼しいものである」
とお釈迦様は王に応えて自分が
釈迦国の生まれである事を暗に伝えます
昔からの言い伝えに実は
「遠征の時に僧に会ったなら
兵を撤退させよ」
というものがあり王はそれに
従って兵を撤退させました
しかしそれでも王は怒りが収まらず
再び出兵しましたがお釈迦様は
また枯れ木の下で座禅をして待ち
同じやり取りで兵を退けます
さらにこのあと三度目の
出兵にも繰り返されます
しかし四度目になって
お釈迦様も釈迦国にある因縁を悟り
兵を阻止する事をしなかった為に
結局釈迦国はコーサラ国王によって
滅ぼされてしまいました
しかし戦の7日後には
恨みを晴らしたコーサラ王も
川で遊行をしていた際に
暴風雨に襲われて兵達とともに
命を落とし宮殿も雷の為に
焼かれてしまいました
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実際は身分制度も絡んだ重い話
みたいですが抜粋要約すると
以上のような話が土台となって
「仏の顔も三度撫づれば腹立つる」
といわれるようになったんですね
なので回数は勝手に変えたらダメ(笑)
ただ私は仕事などの失敗は
一回目は知らないから仕方ない
二回目は慣れてないからやむを得ない
三回同じ失敗をするとそもそも
改善する意識がないのではないか?
と疑われてしまうものだと思います
だから失敗は許されないけど
ただやり直しが許されるとすれば
二回までという基準でいます
さあ、あなたのなかにある
仏様の顔は何回くらいありますか?