聖徳太子が冠位十二階の制度を制定

 

おはようございます
週の真ん中水曜日の朝です

昨日はちょっと資料整理をしてから
クライアント先にて打合せののち
某所で所用を済ませてから
事務所へ戻り来客2件対応
それから申請書類の作成ののち
某官公庁に証明書類の取得と届出
その後は事務所へ戻り申請書類作成

さて今から1419年前の604年1月11日は
聖徳太子によって「冠位十二階」が制定された日

冠位十二階は日本で初めての冠位位階制度
と目されており朝廷に仕える臣下を






智 

の6階級に分け、さらにそれぞれを
「大小」に分けた計12等級に分類し
地位を表す冠を授けたものでありました

と、こんな風に
中学校の歴史の教科書で習った記憶があります

冠位十二階の制定の意図としては
家柄等にこだわらず特に貴族ではなくても
有能な人間を確保することが目的とされていました

それまでの朝廷は「氏姓制度」という仕組みから
成り立っていてこれにより天皇も有能な個人を
登用することが出来ない形であったそうです

また当時は

高句麗
新羅
百済

などの近隣諸国ではすでに「官位制度」が
敷かれていたことから日本も法治国家であり
諸外国に遅れを取っていないということを
アピールする狙いもあったともされています

聖徳太子冠位十二階の制定を行い

①身分関係なく有能な人物を登用する
②外交使節に威厳を持たせる

という大きく二つの目的を達成したとされています

この冠位十二階の制度により登用された人物で
有名にところは遣隋使となって隋に渡った
小野妹子」が有名なところです

と、今回はちょっとざっくりとですが
超マニアックな歴史の話題でした

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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