
おはようございます
3連休明けの月曜日の朝です
昨日も都内で研修会に参加
夜になり事務所に戻り資料整理など
で、月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第11回
畿内を手中に収めた信長は藤吉郎らに
新たな命令を下すがそれは大和を治める
武将松永久秀を介して堺の商人今井宗久らに
矢銭二万貫を納めさせろというもの
だが堺の商人はくせ者ぞろいで藤吉郎らは
堺の商人らに兄弟は苦戦を強いられる
今回のストーリーはこちらから
→大河ドラマ豊臣兄弟公式サイト
「本圀寺の変」は永禄12年(1569)正月に
三好三人衆が京都の本圀寺を襲撃した事件
当時、本圀寺には足利義昭が仮御所を
置いていましたが義昭は織田信長の
後ろ盾によって将軍に就任したばかりであり
この襲撃は単なる寺院への攻撃ではなく
新たに成立した義昭政権そのものを狙った
軍事行動だったといえます
この事件は畿内の情勢がなお不安定で
あったことを強く印象づけるものでした
そしてこの危機対応を通じて信長の
存在感は一層高まりやがて義昭と信長の関係に
緊張が生まれ対立へと発展していく
下地が形づくられていきます
本圀寺は中世以来、洛中法華二十一本山の
一つとして大きな勢力を誇り
法華一揆の拠点の一つでもありました
寺域には堀が巡らされるなど要塞化が
進んでおり単なる宗教施設ではなく
防御機能を備えた拠点でもあったようです
そのため寺内では細川藤賢や明智光秀らが防戦し
三好方は容易に攻略することができませんでした
結果として義昭政権は当面の危機を
しのぐことに成功します
しかし、これによって畿内が完全に
平定されたわけではなく三好三人衆は
その後も信長に対抗し続け畿内周辺における
反信長勢力の一翼を担い続けることになります
また本圀寺そのものも歴史の中で
重要な役割を担い続けました
時代が経過して豊臣秀吉の時代には
山城国菱川村において朱印地177石が
与えられるなど寺の基盤が整えられます
さらに秀吉の姉である日秀尼が立像堂や大
客殿の建立に尽力したとも伝えられています
本圀寺の変そのものに秀吉は関与していませんが
のちに豊臣家が寺の復興と維持に
深く関わることとなりその歴史的意義は
後世にも受け継がれていきました
次回、藤吉郎は京都奉行に就任
任務に追われる小一郎と藤吉郎は信長に連れら
市のいる小谷城を訪ねる
第12回「小谷城の再会」
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
「【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第11回」へのコメント
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