【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第37回!

おはようございます
9月最後の月曜日の朝です

昨日は一日中事務所で申請書類の提出
午後には来客一件あり打合せ
オンライン申請で5件申請

で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第37回

関白となった秀吉は四国平定の
恩賞として秀長に大和一国を与える
秀長は大和郡山城へ拠点を移すが
大和では興福寺をはじめとする寺社勢力が
絶大な権力を持ち利権を独占していた

今回のストーリーはこちら
→大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト

さて劇中で墨俣一夜城の頃から
存在感を出していた武将が

それが蜂須賀正勝
「蜂須賀小六」の名前でも知られる人物です
今年はちょうど正勝の生誕500年だそうで

正勝は1526年尾張国海東郡蜂須賀郷に
生まれました
若い頃には斎藤道三や織田信長らに仕え
その後秀吉の家臣となります
特に有名なのが木曽川周辺の
土豪たちとのつながりを生かした働き
劇中では墨俣の築城をめぐって
豊臣兄弟と関わる姿が描かれました

そして秀吉の天下統一が進むにつれて
正勝自身も出世していきます

1581年には播磨国龍野城主となり
5万3千石を領する大名となります

ところがその後の蜂須賀家の歴史を見ると
ちょっと面白い話があります

1585年秀吉が四国を平定すると
正勝には阿波国が与えられることになりました

ところが正勝はこれを辞退
自分は秀吉の側近として大坂に残ること
を望み代わって嫡男の蜂須賀家政が
阿波国を与えられました
これが後の徳島藩につながっていきます

家政は阿波に入り徳島城を築城
その後関ヶ原の戦いでは家政が隠居して
高野山に入り嫡男の至鎮が徳川家康側に
ついて戦います

その結果蜂須賀家は阿波の領有を安堵され
さらに1615年の大坂の陣での
功績によって淡路国も加増

阿波淡路合わせて25万7千石余りを領する
四国最大級の大名へと成長していきました

つまり
「蜂須賀正勝が秀吉に仕える」
↓
「息子の家政が阿波へ」
↓
「徳島城を築く」
↓
「孫の至鎮が徳川家康側につく」
↓
「徳島藩蜂須賀家として江戸時代を生き抜く」

という流れで進んでいきます
蜂須賀家はその後も代々徳島藩主を務め
明治維新まで続きました

徳島県の歴史を見ても蜂須賀家は
阿波淡路の歴史そのものと言っても
いい存在で徳島城下町の発展だけでなく
産業などにもつながっていきます

正勝自身は1586年に亡くなっていますから
歴史上の登場期間は決して長くありません

でも、その後に家政、至鎮と家が受け継がれ
徳島の地で約280年にわたって
蜂須賀家の歴史が続いていきます

そう考えると戦国武将の人生というのは
本人一代だけを見るのではなく

「その人が何を残し、次の世代がどう受け継いだのか」

まで見るとまた違った面白さがあります
ちなみに今年は正勝生誕500年

まさに大河ドラマで再びスポットライトを
浴びるには絶好のタイミングです

次回は秀長がついに大和一国の運営に着手
第38回「和を以って大和となす」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

 

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