【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第39回!

 

おはようございます
3連休の3日目の月曜日の朝です

昨日は朝一から資料整理など
県内某所のクライアント先にて打合せ
午後からは申請書類の作成
夕方からは某集まりに参加

で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第39回

秀吉は石川数正を大坂城に呼び
徳川と真田の和睦を命じる
豊臣家の勢いと財力を目の当たりにした
数正は家康を説得しようとするが
家康は和睦を拒否し戦支度を始める
一方、秀長は秀吉に後継者となる実子を
茶々を新たに妻とするよう勧められ
寧々の心中をおもんぱかり猛反発するが…。

今回のストーリーはこちら
→大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト

戦国時代では激動の人生を生きた女性たちの
運命にも興味が惹かれるものがあります
その一人が後に淀殿(よどどの)と呼ばれる茶々

茶々は秀吉にとって主君だった織田信長の
姪であり父は浅井長政、母は信長の妹お市の方
であるのはご存知の通りです

と 茶々の人生は悲劇の連続でした
劇中で描かれた通り
1573年父浅井長政が信長に敗れて自害
さらに1583年母のお市の方も秀吉との戦いに
敗れた柴田勝家とともに命を落とします

茶々は父を滅ぼした信長の一族であり
母と義父を死に追いやった秀吉とも
深い因縁があったわけです

そんな茶々がなぜ秀の側室になったのでしょうか?

一般には1583年の賤ヶ岳の戦いの後
秀吉の保護下に入った茶々がやがて秀吉の
側室になったとされています
側室とは正室とは別に妻として迎えられた女性

茶々が秀吉の側室になったのは
1588年頃と考えられています

ただしなぜ側室になることを受け入れたのか
その詳しい事情を記した確かな史料は
十分に残っていないようです
そこでいくつかの見方が考えられています。

一つは戦国時代を生き抜くための
選択だったという考え方

当時は力を持つ武将に保護されることが
生き残るための重要な手段でした
両親を失った茶々にとって
天下人へと上り詰めた秀吉のもとに
身を置くことは現実的な選択だったということ

二つ目は秀吉が織田家の血筋を
取り込みたかったという見方

茶々は信長の姪にあたることから
織田家と深いつながりを持つ茶々を迎えることは
秀吉にとって政治的にも意味があったと考えられます
また後継者となる男子を望んでいたことも
理由の一つだったのでしょう

三つ目は茶々自身が秀吉の実力を認め
天下人となった秀吉のもとに入ることを
選んだのではないかという説

秀吉が天下統一へと進む中で茶々もまた
単に守られるだけの立場ではなく自分と妹たちの
将来を考えていたのかもしれません

もちろん秀吉への愛情があった可能性も
否定できませんが茶々がどのような気持ちで
側室になったのか今となっては断定できません

今回の劇中での描かれかたはこれまでのものとは
多少違ったものだったかもしれません

がいずれにせよ私が興味深いと思うのは
茶々を単に「親の仇に仕えた女性」と
見るのではなく両親を失い時代の大きな変化の中で
自分の生きる道を探した女性として考えること

現代の私たちからすればなぜ仇ともいえる
相手を選んだのか不思議に思えるかもしれません

しかし戦国時代には昨日までの敵が
明日の味方になることも珍しくありません
生き残るために何を選ぶのか
そして、その選択によって何を得て
何を失うのか

茶々の人生を知ると戦国時代の人々もまた
厳しい現実の中で悩みながら生きていたことが
伝わってきます

秀吉秀長の亡き後、彼らの選択がその後の
豊臣家をどのように導いたかを知った時に
秀吉秀長がどのようにその判断を評価するのかにも
とても興味深いものがあります

次回、秀吉の妹旭姫が家康のもとに輿入れ?
第40回「あさひの輿(こし)いれ」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

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