おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です
昨日も事務所で一昨日に引き続きの作業
中々ハード・・・・・・
で、昨日は日曜日だったので
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第32回
頼家は奇跡的に息を吹き返したが
その間の出来事を知り北条に激しい怒り
その頃後鳥羽上皇のもとには頼家危篤の報が届く
後鳥羽上皇は鎌倉の今後に考えを巡らせる
鎌倉では政子のもとに義時らが集まり
新たな体制について話し合っていたが
一方りくは時政を激しくけしかける・・・
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→鎌倉殿の13人公式サイト
ここ数回を通して思いっきりキャラ変の義時
完全にダークサイドに落ちたという感じです
今回のラストで3代将軍源実朝が誕生
北条時政は政所別当に就き幕府の実権を掌握しますが
ここでいう政所とは政治をとり行う所のことを指し
別当とはその中での中心となるものを指すと言われいます
この役職がのちに執権へとなっていくようですが
ここから北条時政が鎌倉幕府の初代執権とされています
職名として「執権」という官職が記録としてあるのが
1186年以後と言われていているようです
2代執権北条義時は侍所別当を兼務してからは
事実上の幕府の最高職となっっていきますが
3代将軍実朝で源氏将軍が途絶えてしまい
4代将軍から京より宮将軍を迎えるようになると
将軍は形式上になり執権という職が名実ともに
鎌倉幕府の最高権力者となる体制が確立します
執権職は鎌倉幕府崩壊まで北条家が独占しますが
同じ北条家でも北条義時を祖とする北条家嫡流を
「得宗家」と呼び一段高い家柄として家督継承
北条家は得宗家とそれ以外の分家とで分かれます
鎌倉幕府の執権は初代時政から16代守時まで続き
その間得宗家からの執権は7名で他9人が分家から
歴史の教科書的には北条執権で有名なのは
元寇と時の執権であった8代の北条時宗ですが
北条時宗は得宗家の家督を継いだ北条嫡流でした
足利尊氏、新田義貞らによって鎌倉幕府滅亡後
一時期尊氏の弟の足利直義が執権と称されたとの
記録もあるようですが室町時代になると将軍を
補佐する役職は管領と呼ばれるようになります
その後も執権職は記録としては見られるようですが
最高権力者の地位として見られることはないようです
善児はすっかりいい人に変わってしまい
義時のダークサイドぶりが際立ってますが
今後はどのような描かれ方がされていくのでしょうか
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
「【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第32回」へのコメント
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