【考察】大河ドラマ「光る君へ」第9回!

おはようございます
週の始まりの月曜日の朝です

昨日は朝一からクライアント先2件訪問
午前中に事務所にもどりそれからは
ずっと申請書類の作成などなど
午後には申請書類の途中で来客1件対応

で、月曜日ということで
大河ドラマ「光る君へ」第9回

東三条殿に盗賊として捉えられた直秀ら
散楽一座は道長の命で検非違使に引き渡された
たまひろは盗賊仲間と勘違いされ連行されるが
道長によって助けられた
宮中では、花山天皇が義懐の関係が悪化し
代わって道兼がその信頼を得ていた

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
光る君へ公式サイト

大河ドラマ「光る君へ」は平安時代の宮中が舞台なので
登場人物の半数以上が藤原氏の方々ばかりなので
いまいち登場人物の違いが分かりづらい

物語も第9話になり最初よりは慣れてきましたが
それでもまだまだ名前は覚えずらいかもしれません
ということで改めて藤原氏について確認してみた

藤原氏は飛鳥時代の藤原鎌足を祖とする氏族で
多くの公家が輩出したほか日本各地に支流があり
1200年以上もの間にわたり廷臣の一大勢力で
あったとされています

藤原氏はのちに源氏・平氏・橘氏とともに
源平藤橘」(四姓)と総称されていますが
中臣鎌足大化の改新の功により天智天皇より
賜った「藤原」の姓が子の藤原不比等の代に
認められたことがその始まり

藤原不比等の4人の子が南家・北家・式家・京家
四家に分かれますが平安時代には北家が皇室と
姻戚関係を結んで摂関政治を行ったことから
北家が藤原氏嫡流という位置づけになりました

藤原兼家は不比等から10代目にあたります
藤原兼家は兄弟間の権力争いや数々の策謀を巡らせ
権力基盤を強固なものにしました

その策謀のひとつがのちに「寛和の変」と
呼ばれるものですが次回あたりがそのくだりかなぁ

北家の中でも特に権勢を誇ったのは兼家の次男
藤原道長でしたがそれからその嫡流子孫(摂家)
院政期以降も摂政関白をほぼ独占状態にし
臣下としては最高の家格を保ったとされています

藤原氏の一族は奈良時代から平安時代までは
本姓である「藤原」を称していましたが
鎌倉時代以降になると姓の藤原ではなく

近衛」「鷹司」「九条」「二条」「一条」などの
苗字に相当する家名(家格)を名のるようになり
公式な文書以外では「藤原」とは名乗らなかった
とされていますがこれらをあわせると特に
朝廷における比率は圧倒的なもので

地方に散った後裔などもふくめると日本においては
皇室(およびその流れを汲む源平など)に次いで
大きな広がりと歴史を持つ家系となっています

江戸時代の朝廷で大臣就任の資格を持つとされる
上位公卿17家系(摂家、清華家、大臣家)のうち
14家系が藤原氏、残り3家系が源氏であり
徳川をはじめとした主要武家の多くも
源平や藤原流を称していることを併せると
皇統と藤原氏の二つだけの血流が支配階級を
ほぼ独占するという状態であったとされています

果たしてそこまでイメージして兼家が
暗躍していたかは定かではありませんが兼家が
日本の歴史の流れに大きく影響していたのは
間違いないと言えるでしょう

さて、次回は兼家の陰謀やいかに
第10回「月夜の陰謀

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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