【考察】大河ドラマ「べらぼう」第21回!

おはようございます
6月最初の月曜日の朝です

昨日は午前中は来客対応のあと所用で外出
午後からは事務所で申請書類の作成で
オンライン申請で4件申請と来客が複数あり
立て続けに来客5件対応打合せと資料整理など

で、月曜日というけとで
大河ドラマ「べらぼう」第21回

重三郎は歌麿と手がけた錦絵が売れず、その一方では
鶴屋で政演が書いた青本が売れていることを知り
老舗の本屋との力の差をあらためて思い知る
南畝が土山の花見の会に狂歌仲間を連れて現れるが
重三郎はその中に変装した田沼意知らしき男を見かける

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
大河ドラマべらぼう公式サイト

松前道廣は江戸時代中期から後期にかけて
蝦夷地を治めた松前藩の第8代藩主
蝦夷地とは現在の北海道をさします

松前道廣は若くして藩主の座に就きましたが
その振る舞いは波乱に満ちていましたが後に
江戸幕府からの処罰を受けることとなります

松前藩は北海道南端の松前を本拠とする
外様の小藩でその始まりは戦国時代の蠣崎家
第5代当主蠣崎慶広といわれています

蠣崎慶広は文禄2年(1593)に豊臣秀吉から
慶長9年(1604)には徳川家康からそれぞれ
蝦夷地交易の独占権を公認されたことで
藩としての地位を確立しました

蠣崎姓を「松前」へと改めたのはこの頃で
福山館の築城にも着手しました

松前藩の最大の特徴は気候的に稲作が
不可能であったことから当時とられていた
石高による土地支配というかたちではなく

交易による利益によって他藩から米を
購入することによって藩が成り立っていた
と言われています

18世紀末になるとロシアの南下政策を受け
北方防衛を強化する必要に迫られた幕府により
松前氏は陸奥国伊達郡梁川などに転封される
などもありましたがのちに返還され
ふたたび藩政も再建されたようです

幕末の箱館戦争っは甚大な被害を受け
藩名が改称されたりもしましたが
のちに廃藩置県の波にのまれて松前藩の
歴史に幕が下ろされることとなりました

次回、誰袖は意知に
蝦夷地の件を探る代わりに身請けを迫るが…
第22回「小生、酒上不埒(さけのうえのふらち)にて」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

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