分からないことを分からないって
言うことは実はかなり勇気の
いることなんだと思います…
大晦日深夜から元旦にかけての討論番組
政治風刺ネタで話題になった某タレントが
プロ討論家の方々を相手に議論
テーマは憲法9条の改憲についてなど
某タレントは現行憲法を忠実に解釈して
軍事力を一切持たないこと、つまり
「非武装中立」
であることが自分の理想ととれる
趣旨の発言をつづけた
その過程で気になったのは
ある大学教授が言った言葉
「少し自分の無知を恥じなさい」
「小学生でもわかる話」
リアルタイムではその番組は見ていませんでしたが
ネット上で話題になっていたので
あとからそのやり取りみたんですが
その時に反射的に思ったのが次のこと
分からないことを分からないということは
そんなに恥じるようなことなんだろうか?
そもそも半分以上の有権者が
国政選挙の投票に行かないこの国で
学問的な訓練を受けている訳でもない中
メディアの情報提供も十分には
なされていないような環境で
なおかつ日常の生活に追われる中
憲法改正の意味を真剣に語れる国民が
いったい、どれだけいるのだろうか?
分からないことはわからないということの
どこに問題があるのだろうか?
むしろ問題なのは違う視点からの意見に対し
「少し自分の無知を恥じなさい」
「小学生でもわかる話」
といった言葉で片付けてしまう風潮
自分の意見が絶対正しい
その意見に沿わないのは「無知」
こうした考え方こそ恐ろしいし
こうした考えをもつ人達が
社会や組織の中心に立つとしたら
そうした社会や組織の未来は暗いなあ
しかも司会者を含めてほかの
プロ討論家はその某タレントに対して
袋叩きとも嘲笑とも言えるような雰囲気
分からないことは状況によっては
恥ずかしいと思うことかもしれないけど
それはそこから学べばいい
しかし「恥ずべきこと」では決してない
わかないということを知って
はじめて学ぼうという意識が芽生える
学び始めることに遅いも早いもない
情報が氾濫している現代にあっては
むしろ大人よりも小学生の方が
柔軟に知識の吸収しているかもしれない
番組を通して全てを見たわけではないから
ピントがずれてたら申し訳ありませんが
またあくまで討論番組の中でのことで
出演者の大学教授も政治家も某タレントも
番組を盛り上げるための演出の
側面もあるのかもしれないけど
ちょっと考えさせられる話題だったので
朝から熱く語ってしまいました(笑)
でもやっぱりこれだけは言いたい
分からないことを分からないって
言うことは恥ずべきことじゃない
学び始めることに早いも遅いもない