おはようございます
週の後半戦突入の木曜日の朝です
世間的には概ね明日から盆休みでしょうか
昨日は午前中はずっと水戸市内で
いくつか官公庁をずっと廻って作業
地元に戻る途中で感じたのは
微妙に車の通りが多いのと
51号沿いのコンビニには海へ
行ってる風の人達がかなりいたこと
車のナンバーも東京埼玉辺りが多いなぁ
もうお盆休みなんだなぁと思いながら
いま茨城県は「まん防」発令中
「今年の夏休みは、茨城県に遊びに来ないで下さい」
って県のHPに書いてあったので
ちょっと微妙な気分になる自分がいる、、、
まぁ自分は◯◯警察になるつもりないので
それ以上は特に何も思いませんが
某エライ人は銀座を散歩していたり
テレビ局の人達は大人数で宴会してたり
全ては某大臣の言う通り
自分自身で判断することだからなぁ、、
まぁ、私は2回目ワクチン接種まだだし
諸々の状況を考えて仕事以外の外出は
密になりそうなところに関しては
とりあえずしばらくは控えるしかないなぁ
さて前置きが長くなりましたが
今から417年前の1604年8月12日は
徳川3代将軍である家光が生まれた日
徳川家光は2代将軍秀忠から将軍の地位を
譲位されたのは1623年でまだ19歳でした
関ヶ原や大阪冬の陣夏の陣をへて
ほぼ徳川幕藩体制は確立したとは言え
若干19歳の若者がトップに立つのは
まだまだ不安も大きかったのではと思います
そこで出たのがあの有名なセリフです
家光は将軍就任にあたり大名たちを前に
「祖父(家康)と父(秀忠)は、あなた方の
協力によって将軍になった
しかし、わたしは生まれながらの将軍だ。
文句があったら、国に帰って合戦の準備をしろ」
この言葉に多くの大名は震えあがったと
言われていますが実はこのセリフには
続きがあるといわれています
実は家光のこのセリフに対して呼応したのが
外様大名の代表格である伊達政宗で
政宗は家光がこのセリフを述べると
「将軍家がご出陣されるまでもない。
私が踏み潰して御覧に入れましょう」
と答えたといわれていて
言って見ればちょっとした演出であった
という説もあったようで実は家光の体制は
まだまだ盤石であったとは言えませんでした
しかし家光は将軍就任後は数々の改革により
徳川幕藩体制を固めていきます
身内の中に巣食う不安要素を除くと
幕府の職制(老中・若年寄・奉行・大目付)を定め
諸大名に参勤交代を義務付ける武家諸法度の改訂
島原の乱の鎮圧と鎖国の完成などが有名ですが
それを支えたのが、俗に六人衆と呼ばれる側近
松平信綱、堀田正盛、阿部正秋、阿部重次
三浦正次、太田資宗、稲葉正勝など
つまり生まれながらの将軍も
将軍に生まれたことが偉かったのではなく
信頼できるリーダーでありリーダーとしての
責任ある行動をきちんととっていたからこそ
周囲がそれを支えて行って、結果として
その地位があったということなんですよね
おそらくそうした周囲の力の必要性を
一番に自覚していたのは家光自身だったのでしょう
今年の秋には衆議院議員の任期満了し
自民党総裁の任期も満了するわけで
日本のリーダーを選ぶという局面が来ます
私達はどのような形でどんなリーダーを
選ぶことになるのでしょうか
少なくとも国民に色々と制約を課していて
それでいて最後は自己責任ですから
で、済ませてしまうリーダーはやだなぁ
ということで
今日も一日頑張って行きましょう!
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