【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第40回

おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です

昨日もずっと事務所で作業
午前中には来客2件対応
午後からは来客2件あり対応
そのほかはひたすら申請書類作成
先週も今週もおんなじような一日(笑)

で、昨日は日曜日だったので
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第40回

後鳥羽上皇は閑院内裏の修復計画に対して
その負担を鎌倉に引き受けさせる
京から知らせが届いた鎌倉では御家人たちが反発
和田義盛は反発する御家人の旗頭になる
そんな中、信濃で一つの事件が起こる
世にいう「泉親衡の乱」が鎌倉を揺るがす

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
鎌倉殿の13人公式サイト

今回「和田合戦」の前半のくだり
和田合戦のきっかけとなったのは
泉親衡の乱」と呼ばれる内乱の計画
泉親衡の乱」とは鎌倉時代初期の1213年に発覚した内乱で
鎌倉幕府御家人で信濃源氏の一人とされる泉親衡が
義時を打つと同時に頼家の三男である千寿丸を
鎌倉殿に擁立しようとして蜂起した合戦

この乱に名を連ねていた武士の中に
和田義盛の子である義直、義重、甥の胤長
上総広常の甥である臼井十郎さらには
八田知家の子である八田三郎らがいて
すべて鎌倉方に捕縛されることとなりました

この中で義盛の甥である胤長は特に乱に
深くかかわったとして陸奥国配流と屋敷の没収
といった沙汰を下されることとなり
特に没収後の屋敷を北条預かりとしたことなど
和田の面目をつぶされた形となったことから
ここから和田合戦へとつながったとされています

泉親衡の存在については諸説が語られていて
実はこの乱の黒幕は義盛もしくは義盛の子や
孫の世代の和田一族とする説が語られています

また親衡は源満仲の弟満快の子孫とする説や
実は存在しない架空の人物とも言われています
今回のストーリーはむしろこの架空の人物説に
のっかっているのかなぁという感じですね

さて次回は和田合戦の後半
三浦は結局どっちにつくのか?

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

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