おはようございます
週の真ん中水曜日の朝です
昨日は早朝から東京都内に向かい
クライアント先にて打合せの後
某官公庁にて証明書類の取得など
それから県内に戻りクライアント先を2件
某官公庁を1件廻ってから夕方事務所へ
それから電話対応など諸々の作業
さて今から185年前の1838年6月14日は
明治の元勲である山県有朋が生まれた日
長州藩の蔵元附中間という足軽より低い
とされる身分の家の生まれであったが
幼少より学問にも武芸にもすぐれていた
その後尊皇攘夷派の影響を受け松下村塾に入門
また上海に渡航した高杉晋作に代わって
奇兵隊軍監として大いに活躍するも
馬関戦争での四国連合艦隊との交戦で負傷した際
武器と兵制の改革の必要性を痛感したことから
尊王攘夷論から開国論に転じる
長州藩内の佐幕派と倒幕派が激突した
いわゆる大田絵堂の戦いでは奇兵隊軍艦として
長州藩藩論を倒幕へと決定づけた戦いの勝利に貢献
戊辰戦争では奇兵隊を率いて
北陸道鎮撫総督兼会津征討総督の参謀として
長岡攻略戦に河井継之助らと戦い
さらには後に会津攻略にも参加
明治維新後は渡欧し各国の軍事制度を視察
帰国後は暗殺された大村益次郎の遺志を継いで
軍制改革を行い徴兵制導入に中心的役割を担う
その後陸軍卿となり参謀本部の設置、軍人勅諭制定
良くも悪くも日本陸軍の実質的な建設者として
山県有朋の存在は更に絶大なものとなる
1889年には第9代内閣総理大臣に就任
軍備拡張を進めるながらも第2次山縣内閣発足
参謀総長、枢密院議長なども歴任
伊藤博文亡きあと最大の発言力をもつ元老として
軍や政界に重きをなし首相選定の主導権を握り
「日本軍閥の祖」の異名をとる
歴史上、最下級の身分から最高権力者となった
いわゆる成り上がり者と言われる存在は
何人かいますが私はこの山県有朋こそが
日本の歴史上最も成り上がり者と言えると思います
以下、山県有朋の言葉
———
弱い羊だけが群がっている世の中など嫌だ
虎の寝そべっている野辺を突き進め
—
憲政は欧米人の特有にあらず
わが憲政の前途多望なり
—
天(あま)つ日の光はきえてうつせみの
世はくらやみとなりしけふかな
———
どちらかと言えばドラマとしては
地味な存在と言える山県有朋
山県有朋を主人公にしたドラマって
多分今までなかったんじゃないかなぁ
足軽から色々な人物と関わりながら
幾度とも言えないくらいの戦いを経て
最後はこの国の最高権利者へと登り詰める
そんな山県有朋のドラマを見てみたいかも
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!