今も生き続ける米百俵の精神

おはようございます
週の後半戦に突入の木曜日の朝です

昨日は朝一から水戸市内へ向かい
茨城県庁の某課にて打合せ
午後になり事務所に戻り申請書類作成など
夕方になり来客3件ほどありそれぞれ対応

今回は昨年に引き続き私の好きなこの話題

今から153年前の1870年6月15日(旧暦)
長岡藩へ支藩三根山藩から贈られた米百俵の
代金で「国漢学校」が開校されたことから
6月15日は「米百俵の日」とされています
この記念日は新潟県長岡市が1996年に制定

河井継之助が率いた北越戦争で敗れた長岡藩は
7万4000石から2万4000石に石高を減らされ
藩財政は窮乏を極めて藩士たちはその日の
生活にも苦慮する状態となりました

見かねた長岡藩の支藩三根山藩は長岡藩に
百俵の米が贈ることとしました

しかし当時の藩の大参事小林虎三郎は贈られた米を
売却の上で学校設立の費用とすることしました
押しかけて抗議をする藩士たちに虎三郎

百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、
 教育にあてれば明日の一万、百万俵となる

と諭し自らの政策を押しきったと言われています
この米百俵によって「国漢学校」を開校し
ここに洋学局と医学局が設置されました

この学校では藩士の子弟だけで無く農民や町民の
子供も入学許可され門戸を拡大されたそうです

以下小林虎三郎の言葉

国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。
 食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ

みなが一体となって、苦しみに打ち勝ってこそ、
 はじめて国もおこり、町も立ちなおるのだ

人物さえ養成しておいたら、どんな衰えた国でも、
 必ずもり返せるに相違ないのだ。おれは堅く、そう信じておる

のちにこの地からは新生日本を背負う
多くの人物が輩出されました

尚、長岡市HPには以下のように記されています

この国漢学校は現市立阪之上小学校に引き継がれています

「米百俵」の精神は長岡市のまちづくりの指針や
人材教育の理念となって今日に至っている。
長岡市HP「米百俵の精神」

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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