【考察】大河ドラマ「どうする家康」第25回!

 

おはようございます
週の始まり月曜日の朝です

昨日も一日中事務所で作業
午後には来客1件対応

で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第25回

瀬名が決死の想いで実行に移した計画は
武田勝頼の手によって信長の知るところとなる。
なんとか瀬名と信康を助けたい家康は
信長の目をあざむきその命を守ろうとする
瀬名は五徳に姑は悪女だと訴える手紙を
信長に宛てて書かせることとする

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

一部ネット上でも話題となっていた展開
これまでの築山事件の通説を覆す展開に

Twitter上には色々と意見がなされていますが
概ねこの展開を支持しているツイートが多いかな

築山御殿信康の生涯はここで終わりますが
ここで気になるのが信康の子孫がその後
どのようになって行ったのかということで。。。

信康五徳の間には登久姫熊姫という
二人の姫が劇中でも出てきていました
築山事件の後、五徳は実家の織田家に帰りますが
二人の姫は家康の側室西郡局(劇中ではお葉)が養育します

後に登久姫は小笠原秀政の正室、熊姫
本多忠勝の嫡男本多忠政に嫁ぎ後に妙高院と名乗ります

妙高院と忠政の子である本多忠刻
後に播磨国姫路新田藩の初代藩主となります

本多忠刻には男女二人の子がいて
そのうちの姫である勝姫は備前岡山藩主池田光正の正室に
勝姫はのちに円盛院と名乗りますがその子綱政は家督を継承

池田綱政は二十男二十八女を設けますが
その末男とされるのが池田政純
政純は分家の天城池田家の天城池田家第6代当主

その政純には9人の子がいたとされますが
そのうちの一人である静子
関白となる一条道香の政所となります

一条道香静子の長女一条溢子
水戸藩第6代藩主徳川治保の御簾中(正室)となり
嫡男徳川治紀を生み水戸藩第7代藩主となります

徳川治紀の子のうちの一人が第9代藩主徳川斉昭
15代将軍徳川慶喜はご存じのとおり斉昭の子

つまり、築山御前信康の血筋は
そのまま生き続け最後は15代徳川慶喜まで
脈々と生き続けるということになります

これって何かの因縁なのだろうか・・・・
次回、第26回「ぶらり富士遊覧」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

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