【考察】大河ドラマ「どうする家康」第40回!

おはようございます
10月も後半の月曜日の朝です

昨日は早朝から所用のため外出
用事が終わってから前日に引き続き
某団体の事業で市内のイベントのお手伝い
夕方から所用の対応

で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第40回

豊臣秀吉が死去し家康は三成らは朝鮮出兵の後始末に
秀吉の遺言に従って家康は五大老たちと政治を行う
三成が加藤清正らの怒りを買うのに対し
家康は諸大名たちからの信頼を得てゆく
そんな家康に野心ありとみた三成は警戒心を強める

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

大河ドラマも今回を含めてラスト9話

晩年の豊臣秀吉は自身が没した後も
豊臣家の政権を維持していくことを
目的として定めた制度が「五大老五奉行
であると言われています

五大老五奉行の違いは主に二つあり
一つは大名としての格という側面で
もう一つは役割という側面

五大老に名を連ねた人物は
みな10万石以上の有力大名で
なかには秀吉が天下人になる前まで
敵対していた大名もいました

五大老の主な役割は秀吉の幼い
後継者秀頼のサポートで
秀吉は秀頼が成人するまで重要な政策は
5人の合議で決めるように遺言をしていました

一方の五奉行はもともと秀吉の下で実務に
携わっていた家来のなかから選ばれています
大名としての規模は小さいものの
秀吉が認めた優秀な人材で秀頼の下で
政策を実行する責任者として任命されました

しかし実際に「五大老五奉行」とネーミングされたのは
実は江戸時代になってからとも言われているようです

秀吉の遺言とされる「豊臣秀吉遺言覚書」に記された遺言は
要約するとこんな感じであったといわれています

・五大老は秀吉の遺言を守って互いに婚姻関係を結び連帯を強めること
・家康は向こう3年間京都にいること
・家康に伏見城を任せるので五奉行から3人を伏見に置くこと
・五奉行から2人は大坂城にいること
・秀頼と一緒に大名たちの妻子も大坂に移すこと

この遺言から読み取れるのは力を伸ばそうとする家康を
いかにけん制しながら秀頼に政権を委譲するかということ

家康を3年間国許に帰させず京都に張り付けさせる
その間5奉行のうち3人を家康と同じ城に置き監視させる
といった趣旨のことが遺言に述べられています

しかし実際には今回のストーリーのように
家康1強の体制が確立する流れを止めることは出来ず
五奉行筆頭の石田三成は政務の中心から早々と外されました

ここから家康と三成の対立は避けて通れず
一気に関ヶ原の戦いへと進んでゆくことになります

次回は三成と家康はついに直接対決へ
第41回「逆襲の三成

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

「【考察】大河ドラマ「どうする家康」第40回!」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください