【考察】大河ドラマ「どうする家康」第42回!

おはようございます
11月も最初の月曜日の朝です

昨日も一日中事務所で作業
午前と午後にそれぞれ来客1件対応

で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第42回

家康は上杉討伐に向かっていたが
そこに三成挙兵の知らせが届く
西国大名の多くが三成につく中にあり
家康は天下分け目の戦に対し西へ戻ると宣言
伏見城を守る鳥居元忠が三成の大軍に囲まれ
家康から真田の攻略を任さらた秀忠は
真田の調略にあい足止めされる

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

大河ドラマも今回を含めてラスト7話

ドラマはいよいよ関ヶ原の戦いへと
入っていきますがよく歴史の問題で
出題されたのを思い出すのは
この頃世界で何が起こっていたか?
という出題を思い出します

関ヶ原の戦いは1600年ですが
歴史の年表をみると

アメリカ大陸には1584年からイギリスが植民開始
オランダでは1600年に東インド会社設立
イギリス王国では1601年に救貧法制定

東インド会社とはオランダやイギリスで設立された
アジア地域と貿易独占権を国から与えられた民営会社
当時の重商主義国家の経済活動において重要な
役割を果たしその後各国で同様の名前の会社が設立

多くの者から出資を募りその資金を元手に
各国を航海して貿易で利益をあげ帰国してから
その利益を出資者に分配するという仕組みで
そこから株式会社の仕組みや簿記や財務会計の
仕組みが出来上がっていたと歴史の教科書や
財務会計論の本に書かれていたような・・・

イギリス王国の救貧法エリザベス救貧法とも言われ
世界史上で社会保障制度の歴史の始まりとされた法制

エリザベス救貧法の内容の要旨は各教会の教区ごとに
救貧税と言われる徴税を行いそれを基金として

働くことの出来ない老人や身体に障害のある人には
お金を支給してその生活を援助を行い一方で

働く能力のある貧民に対して亜麻・羊毛・糸・鉄等の
原料を与えて就労をさせ、また貧民の子弟には技術を
教えるために徒弟に出すことを奨励したとされました

エリザベス救貧法の思想での考え方である貧民を
ある程度救済することによって社会秩序が保たれうる

という根本思想はビスマルクのドイツなど
各国で導入され貧民や労働者の生活改善策が
実施されて行くようになりました

日本において救貧法と同種の初めての統一的法令は
1874年(明治7年)の恤救規則が最初でそこから
1929年(昭和4年)の救護法さらに
戦後の生活保護法の成立しへと繋がっていくようです

と、調べて言ったら全く大河ドラマとは
全然違う方向に行ってしまいました(笑)

次回は第43回「関ヶ原の戦い

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

「【考察】大河ドラマ「どうする家康」第42回!」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください