おはようございます
4月も最後の月曜日の朝です
昨日は一日中ずっと事務所で作業
調べモノのと申請書類の作成など
で、月曜日というけとで
大河ドラマ「べらぼう」番外編
これまでの名場面をキャストの方と
あれこれと思い出すという番外編
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→べらぼう公式サイト
次回5月からのドラマは次のステージへ
重三郎は耕運堂を日本橋に移して事業は新しい展開
江戸城の中では次期新将軍の座を巡り大きな動き
徳川家の次期将軍の座を巡る争いは
世継ぎであった徳川家基の急逝により
新しい世継ぎを選ぶということになります
徳川15代将軍の名前を見ると
初代徳川家康をはじめほとんどは「家〇」という
「家」が名前に付けられていますが一部例外も
2代:秀忠
5代:綱吉
8代;吉宗
15代:慶喜
の4人が名前に「家」が付かない将軍
徳川家は元は三河松平家から発展したもので
竹千代→松平元信→松平元康→松平家康→徳川家康
と家康もその時の立場の変化で改名してきました
家康の父は広忠、祖父は清康であったことから
三河の国人領主であった松平家は「忠」か「康」が
その名前に付けられる通字であったと言われています
竹千代時代に今川義元に人質として取られた家康は
元服して今川義元の一字を与えられ元信となりました
その後松平家の通じである「康」に改名が許されますが
桶狭間の戦いで義元が討死し人質から逃れたときに
「元」を外して「家康」と改名をします
この時の「家」は八幡太郎義家からだと言われています
後に「家」が徳川家の通字とされ将軍継承者は
名前に「家」をつけるようになりますが
その例外が前出の4人の将軍です
秀忠は秀吉からもらった「秀」に通じの「忠」から
の名前であると容易に推測できますが
秀忠がその名前を改名しなかったのは
律儀に秀吉に義理に報いるためと言われています
5代将軍綱吉は3代家光の子で4代家綱の弟
将軍となる予定がなかったものが兄の急逝で
将軍を継承したものでした
8代将軍吉宗も幼君であった7代将軍家継が急逝
尾張紀州の将軍争いの末に紀州藩主吉宗が
8代将軍となりますが吉宗の「吉」は
5代将軍綱吉からのもので吉宗は綱吉に対し
強く尊敬の念を抱いていたと言われています
15代慶喜は14代家茂の急逝により
御三卿の一橋家当主から急遽将に就任
という流れで秀忠以外の3人は前任者の急逝で
世継ぎではなかった立場から急遽将軍なった
というのが共通するところといえます
まあ、その他にも他説はあるようですが
劇中の11代将軍はどのように決まって行くのか?
次回、重三郎は新之助と再会し子どもが
読み書きを学ぶ本“往来物”に目を付ける
第17回「乱れ咲往来の桜」
という訳で今日も一日頑張っていきましょう!
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