徳川慶喜、最後の将軍の意外な素顔とは?

 

おはようございます
10月最後の週の真ん中水曜日の朝です

昨日は外国人技能実習生の方に対して
法的保護講習の講師として
入管法と労働法の講義を担当
技能実習制度は来年から育成就労制度に
制度が大きく変わります
事務所に戻ってあとは資料整理など

さて今から189年前の1837年10月28日は
江戸幕府第15代将軍、徳川慶喜が
生まれた日なんだそうです

徳川慶喜といえば
江戸幕府最後の将軍として知られていますが
実は意外と知られていない一面も
たくさん持っていた人物なんだそうです

まず、徳川慶喜は
水戸藩主だった徳川斉昭の七男として
江戸の小石川に生まれました

父の斉昭は教育に厳しい人物で
慶喜は幼い頃から水戸で育てられ
5歳の頃から学問を学んだといわれています

その後、11歳で一橋家の養子となり
将軍候補のひとりとして
政治の世界に関わっていくことになります

そして1866年、29歳で第15代将軍に就任
ところが、翌1867年には
朝廷に政権を返す「大政奉還」を行います

約260年続いた江戸幕府の歴史に
自ら終止符を打つ決断をしたわけです

ただし、これは単純に
政権を手放したかったという話ではありません

政権を朝廷に返すことで
徳川家を中心とした新たな政治体制を
実現しようという狙いもあったとされています

ところが、時代の流れは
慶喜の思惑どおりには進みませんでした

その後、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れると
慶喜は大坂から江戸へ戻り
やがて新政府に恭順することになります

個人的に興味深いのは明治に入ってからの
慶喜の生き方なんですな
実は徳川慶喜は歴代将軍の中でも
かなりの多趣味な人として知られています

写真撮影や油絵、狩猟、囲碁、将棋など
さまざまな趣味を楽しんでいたそうです
さらに、自転車に乗ったり
お菓子作りを楽しんだりしたという話もあり

時代を考えると
なかなかハイカラな人物でした

しかも、手裏剣の腕前にも優れていたとされ
文武両面に才能を発揮した人物だったようです

また、現在の東京にある日本橋の
橋名を記した文字も
慶喜が揮毫したものなんだそうです

明治維新後は政治の世界から退き
静岡で静かな生活を送った後
1897年に東京へ戻りました
そして1913年、76歳で生涯を閉じます
歴代将軍の中でも長く生きた人生でした

最後の将軍というと
幕府を終わらせた人物という印象が強いですが
趣味を楽しみながら長い余生を過ごした
ひとりの人間でもあったんですね

激動の時代を生き抜いた徳川慶喜
歴史の大きな転換点で
どんな決断をすべきなのか?

その答えは簡単ではありませんが
時代の変化に合わせて
自分の生き方を変えることも
大切なのかもしれません

ちなみに、自分の場合は
趣味が多いどころか
これといった趣味もないので
慶喜公を見習って
何か新しい趣味でも始めようかな……

と思いつつ
今日もいつもどおり仕事に励みます(^^)

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

 

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