
おはようございます
1月も最終週の月曜日の朝です
昨日は一日中水戸で所用対応
夕方に事務所にもどり申請書類作成など
で、月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第4回
信長が出陣の決断を下し小一郎と藤吉郎は
対今川軍の前線基地である善照寺砦に向かう
信長は善照寺砦に集った兵たちを前に檄を飛ばし
決戦の地である桶狭間へ向かう
今回のドラマに関してはこちらへ
→大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト
これまで大河ドラマなどで
描かれてきた今川義元像というと
白塗りで公家風の振る舞いをする武将
そして大軍を率いながらも
「桶狭間で敗れた大名」という
マイナスイメージが強く語られがちです
しかし近年では今川義元は戦国期屈指の教養と
統治能力を兼ね備えた優れた大名であった
という再評価も進んでいるようです
まず注目すべきはその政治行政能力の高さです
義元は駿河・遠江・三河の三国を支配する
大大名として家臣団や領国を武力ではなく
「法と秩序」によって統治しようとしました
その象徴が「今川仮名目録」です
これは家臣の行動規範、領国内の訴訟処理
私闘の禁止などを定めた分国法で戦国時代に
おいて法治を重視した先進的な試みでした
また経済政策にも優れていました
当時、国の豊かさは「石高」で示されましたが
今川氏の領国である駿河・遠江・三河は
三国合わせても100万石に届かず
決して条件の良い国とは言えませんでした
そこで義元は、積極的に金山開発を進めます
安倍川上流の安倍金山や富士山麓の富士金山
などに加え、義元の時代に伝来した「灰吹法」
という新たな精錬技術を導入したことで
金の生産量は飛躍的に増加しました
これにより駿河は一気に豊かな国へと変貌します
さらに義元は検地の重要性にもいち早く着目し
土地の面積や石高を正確に把握することで
公平な租税徴収や軍役負担を可能にしました
物流網の整備や商人統制など商業政策も進め
安定した税収基盤を築き上げていきます
外交面でもその戦略眼は際立っています
武田信玄、北条氏康と結んだ
「甲相駿三国同盟」では東国の勢力均衡を保ち
今川家の背後を固める極めて合理的な選択でした
この同盟によって義元は内政に専念でき
東海道支配という大戦略を着実に推し進めました
また義元は文化人としても一流だったようで
公家出身の母を持ち幼少期から寺院で学問を修め
和歌・連歌・礼法にも精通していました
こうした教養は家臣や公家、寺社との
円滑な関係構築に大きく寄与しています
「武」と「文」を高い次元で融合させた
大名であったともいえます
人材育成の面でも
朝比奈泰能、岡部元信といった有能な家臣を抱え
若き日の松平元康(後の徳川家康)を
人質として育てましたが元康が後に
天下人へと成長した背景には今川家での
経験があったことも否定できないでしょう
桶狭間の敗北は確かに事実ですが
それだけで義元を語るのはあまりにも一面的で
今川義元はまさに
**「名門今川家を実力で再興した優秀な大名」**
であり改めて評価されるべき戦国武将の
一人と言えるのではないでしょうか
次回、第5回「嘘から出た実」
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
「【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第4回」へのコメント
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