
おはようございます
年度末の火曜日の朝です
昨日は午前中は資料整理などをしてから
クライアント先と某官公庁にて打合せ
事務所に戻ってから申請書類作成
夕方になり某官公庁にて許可証受領
事務所にて来客対応してからあとは
資料整理と申請書類の作成など
さて年度末になるとなぜか
毎年のように思い返すテーマがあります
それが「人の本性は善か悪か」という問い
いわゆる性善説と性悪説の話です
古くは人の性にはもともと善も悪もなく
その時代の指導者や環境によって
善にも悪にも傾くと考えられていました
良い為政者のもとでは人々は善を好み
悪しき為政者のもとでは乱暴さが広がる
つまり人のあり方は状況に左右されるという見方
そんな中で「人の性は善である」と説いたのが孟子
「人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごとし」
人の心は水が自然に低きへ流れるように
善へと向かうものだという意味です
聖人も凡人も本質は同じであり
誰もが善なる性を持っているとしました
ではなぜ人は時に悪しき行いをしてしまうのか
孟子はそれは外からの影響によって
本来の善が曇らされるからだと考えました
一方で荀子は人の性は弱く放っておけば乱れる
ものだから教育や規律が必要だと説きます
ここでいう「悪」は単なる悪意ではなく
「弱さ」に近いものなのかもしれません
自分自身を振り返ると
どちらかと言えばお人好しな性分なので
孟子の言葉の方がしっくりきます(笑)
人は本来善であると信じていたいものです。
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仁は人の心なり、義は人の路なり
仁とは人に備わる自然な思いやりの心であり
義とは人が歩むべき正しい道筋のこと
どちらも外から与えられるものではなく
本来内にあるものだという教えです
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万物みな我に備わる
身に反して誠なれば、楽しみ、これより大なるはなし
自分の内側にすべては備わっており
それに正直に生きられたとき
それ以上の喜びはないということ
シンプルですがなかなか難しい境地です
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人を存るは、眸子より良きはなし
眸子はその悪を掩うこと能わず
人を見るとき、最も正直なのは目である
どれだけ取り繕っても心の状態は瞳に表れるものです
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天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず
どれほど良いタイミングや条件があっても
最後にものを言うのは人と人との結びつき
組織の強さはやはり「和」に尽きるのだと感じます
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こうして考えると善か悪かを単純に分けること
自体あまり意味のないことかもしれません
人は環境にも影響されつつそれでもなお
自分の内側にあるものと向き合いながら
生きている存在なのでしょう
さて現実に目を戻せば年度末まとめ作業は
山積みで特に入管申請は結果待ちが今年も50件超
さらに処理待ちもまだ残っており
今日もいくつか仕上げなければなりません
山のような仕事を前にあのフレーズが
頭の中でリフレインします
「山のような仕事、抱え込んでばしのいでる♪」
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
「人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごとし」へのコメント
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