【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第19回!

 

おはようございます
5月も3回目の月曜日の朝です

昨日は一日中事務所で作業
午前中には来客2件対応打合せ
午後はひたすら申請書類の作成

で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第19回

信長は嫡男信忠に家督を譲り安土に
天下一統を見据えた巨大な城の築城に着手
秀吉は勝家を総大将とする上杉攻めに加わるも
作戦を巡り勝家と対立してしまう
一方で小一郎は慶に他国の武将との
内通の疑いがかかり密かに足を運んでいる
という村へ向かう。そこで小一郎は――。

今回のストーリーはこちら
豊臣兄弟公式サイト

秀吉を支え続けた名補佐役として知られる秀長
大河ドラマでは過去「穏やかで思慮深い人物」
として描かれて来ていて兄秀吉とは
対照的な存在として存在感を示していました

しかしその秀長の「子供たち」については
実はあまり知られていません

秀長には実子として一男二女がいたとされています
長男は羽柴与一郎といいましたが幼くして
亡くなってしまったというのが通説とされています

戦国時代は医療も未発達であり武将の家で
あっても子供が成人するまで育つことは
決して当たり前ではありませんでした

長女については秀長の養子となった
豊臣秀保に嫁いだと伝わっています
秀保は三好吉房の子で秀吉の甥に
あたる人物でしたが秀長は後継者問題を考え
この秀保を養子として迎えたとされています

しかしその秀保も若くして病死してしまいます
長女もその後の記録が乏しく詳しい消息は
分かっていません

さらに二女の大善院は後に長州毛利家を
支えることになる毛利秀元に嫁ぎました
秀元は毛利輝元の養子であり豊臣政権下でも
重要な立場にいた人物でした

秀長は毛利家との結びつきを強める意味もあり
この婚姻を進めたのかもしれません
しかし大善院も22歳という若さで亡くなりました

こうして見ると秀長の子供たちはいずれも
不幸な運命をたどっており結果として
秀長の直系の血筋は絶えてしまいました

兄秀吉の豊臣宗家も秀頼の死によって
滅亡しており豊臣一族そのものが
短命な家系だったとも言えるかもしれません

ただし秀長の家の系譜が完全に消えたという
わけではなく秀長の養子となっていた
藤堂高吉は後に藤堂高虎の養子となりました

高吉はもともと丹羽長秀の三男であり
秀長の死後に藤堂家へ入りました
その後高吉は伊勢津藩の一門である
名張藤堂家の祖となりこの家系は
江戸時代を通じて続きました

さらに明治39年(1906年)には
男爵にも叙爵されていて
現在でもその子孫は続いているとされ
間接的ではありますが秀長ゆかりの血脈や
家名の歴史は現代まで受け継がれています

豊臣秀長は戦国時代を陰で支えた
「名参謀」として知られています

しかしその家族の歴史を振り返ると
そこには戦乱の時代を生きた人々の儚さと
家を残すことの難しさが感じられます

華やかな天下統一の裏側には
このような静かな
一族の物語もあったのでしょう

次回、戦線離脱した秀吉は
信長から切腹を申しつけられる
第20回「本物の平蜘蛛」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

 

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