
おはようございます
5連休の真ん中の月曜日の朝です
昨日は一日中あいにくの雨模様でした
連休中の台風の動きも気になります
で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第36回
織田信雄との和睦により家康との戦い収束し
家康は次男於義伊を人質として差し出す
四国では四国一統を悲願とする長宗我部元親が
反旗を翻したことに対して四国攻めの総大将に
秀長を指名される
秀長は世に秀吉の力を誇示するため天然の要害
四国を圧倒的な力で攻め落とす大規模作戦を実行
同じ頃秀吉はある重要な目的のため京を訪れる
今回のストーリーはこちら
→大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト
今回のドラマの中で秀吉は関白となり
肩書きとしてはこの国の最高位となり
天下人としての地位を手に入れました
朝廷から授かった最高位の官職「関白」
しかし、ここでふと疑問に思うことが
なぜ秀吉は「征夷大将軍」ではなく「関白」
となったのか?ということに疑問がわきます
実はこの背景には秀吉の出自や当時の政治情勢
そして天下統一を実現するための戦略が
関係していて諸説が言われているようです
① 「源氏でなければ将軍になれない」は本当なの?
よく知られている説が、秀吉の出自に関するもの
征夷大将軍は鎌倉幕府や室町幕府を開いた武家の棟梁
秀吉は農民出身とされ源氏の血筋ではなかったため
将軍になれなかったのではないかという説
さらに室町幕府最後の将軍足利義昭の養子に
なって将軍職を得ようとしたものの断られた
という逸話も伝わっているようです、しかし
「源氏でなければ征夷大将軍になれない」
という決まりが当時から厳格に存在していた
わけではなかったようです
実際、鎌倉時代には藤原氏出身の将軍も
存在しており秀吉が源氏でなかったことだけを
理由に将軍になれなかったと断定することは
必ずしも出来なかったようです
また足利義昭の養子になろうとしたという話も
後世の史料に見られる逸話であり同時代の
確かな裏付けには乏しいとも言われているようです
② 関白になったきっかけは「関白相論」
では、なぜ関白だったのか?
実は秀吉が関白になる直接のきっかけは
朝廷内部の争いであったと言われています
天正13年(1585年)になると関白の座をめぐって
二条昭実と近衛信輔の間で対立が起こります
そこで調停に入った秀吉は争っている当事者の
どちらかではなく自分自身が関白になる
という案を提示しました
当時関白は藤原氏の摂関家が代々受け継ぐのが
慣例となっていてそのため秀吉は近衛前久の
猶子となり藤原姓を称することで
関白就任への前提となる環境を整えます
天正13年7月11日藤原秀吉として関白に就任
農民出身とされる秀吉が藤原氏の伝統的官職に就任
これは身分秩序が大きく変わる戦国時代を
象徴する出来事だったと言えるでしょう
③ 関白は秀吉の天下統一に適していた?
もう一つの重要な視点があると言われています
征夷大将軍が主に武家の棟梁としての権威を
持つのに対し関白は天皇を補佐し朝廷の政務に
関わる立場です
秀吉は関白となることで武士だけでなく
公家や寺社なども含めたより広い政治秩序の中で
権威を確立しようとしたと考えられます
つまり秀吉にとって関白は単なる肩書きではなく
全国の大名を朝廷の権威のもとに組み込むための
政治的な手段でもあったということ、ただし
「関白の方が将軍より単純に上だったから選んだ」
とだけ説明するのは正確な解釈ではなく
両者は制度上の性格が異なり秀吉が関白を選んだ
理由についても複数の解釈があります
④ 「豊臣」という新しい姓を手に入れる
秀吉の政治的な工夫は関白就任だけではなく
翌年天正14年(1586年)秀吉は
朝廷から「豊臣」姓を賜ります
それまでの日本では、源・平・藤原・橘という
伝統的な姓が政治的な家格や権威と
結びついていましたが秀吉は藤原姓によって
関白となった後に豊臣という新しい姓を持つことで
既存の氏族の系譜に単純に属するのではなく
自らを起点とする新たな家の権威を築こうと
したと考えられています
こうして秀吉は朝廷の官職と武家の実力を
結びつけ独自の支配体制を整えていきました
⑤ で、秀吉が関白を選んだ本当の理由とは?
ここまでの話を整理すると秀吉が
「征夷大将軍」ではなく「関白」になった理由には
次のような可能性が考えられます
出自や家格の問題:従来の武家秩序の中で将軍職に
就くための家格が課題になった可能性
朝廷との関係:関白という官職を通じて朝廷の権威
を利用しながら全国支配を進める意図
政治的な機会:関白相論という朝廷内部の対立を
利用し自ら関白に就任する道を開いたこと
新しい支配体制:将軍という既存の枠組みに収まらず
朝廷と武家を結びつける独自の政権を築いたこと
豊臣秀吉が征夷大将軍ではなく関白となった
背景には出自や家格、朝廷内部の争い、そして
天下統一に向けた政治戦略が複雑に絡んでいた
とみるのが歴史の面白さなのかもしれません
次回は秀長がついに大和一国の領主に
第37回「秀長の国」
という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!
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