おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です
お盆休み真っ只中の日曜日でしたが
昨日は何となく一日中作業
途中電話対応数件と調べものなど
で、昨日は日曜日だったので
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第31回
病に倒れた源頼家の後継をめぐり
その対立の激しさを増す北条と比企
比企は頼家の長男一幡を後継に据えようとするが
一方の義時ら北条は比企の動向を探る
そして政子のもとに時政ら北条一門が集まり
比企討伐へ向けてその動きを加速させる・・・
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→鎌倉殿の13人公式サイト
今回のストーリーで一番印象に残ったセリフは
坂東武者の気風についての全く異なる二つのセリフ
「太刀を持たないものを襲えば末代までの恥」
「坂東武者は勝つためならば手段は選ばない」
ここでいう坂東とは古代から中世近世にかけての
現在の関東1都6県の地域の名称といわれています
坂東武者とは坂東つまり現在の関東に領地を構えた武士
相模国(さがみ)現.神奈川県
武蔵国(むさし)現.東京都・埼玉県・神奈川県
安房国(あわ)現.千葉県南部
上総国(かずさ、かづさ)現.千葉県中部
下総国(しもうさ)現.千葉県北部・茨城県南部
常陸国(ひたち)現.茨城県
上野国(こうずけ)現.群馬県
下野国(しもつけ)現.栃木県
の関八州(関東八州)のエリア
平安時代に入り朝廷による統治体制が全国に整い
国力の安定がみられるような時代になってくると
朝廷による徴兵の体制から地方の治安の維持は
各地の領主たちが編成した武士団が担うようになります
しかしそれによって地方での争いや衝突が多発
かえって治安が悪化するようになりました
そこで再び朝廷は軍を編成を目指しましたが
上手く行かずむしろ地方は武士団が力を強めていく
その形が地方でより一層強くなっていき
それが各地で地域を治める武士へと成長していきます
その中でも坂東は大和朝廷による支配も東の端で遠く
特に勇猛な武士が数多く生まれてゆき
それらが坂東武者と呼ばれるようになっていきます
天皇から与えられる四種類の性である
「源平藤橘」が武士の成り立ちの始まりと言われていますが
鎌倉御家人を形成することとなる坂東武者は
その多くが桓武天皇から姓を与えられた
高望王を祖とする高望王流桓武平氏と言われています
で、冒頭の二つの相矛盾する劇中でのセリフ
「太刀を持たないものを襲えば末代までの恥」
「坂東武者は勝つためならば手段は選ばない」
どちらが事実に近いのかは諸説あるようですが
時代を考えればどちらも正しいのかもしれません
さて、頼家から実朝への権力の委譲がちょっと
予想していなかった展開で描かれました
義時のキャラが大きく変わっていく反面
泰時は昔の義時を思わせるようなキャラ設定
この辺はクライマックスに向けて
どうつながって行くのでしょうか?
という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!
「【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第31回」へのコメント
コメントはありません