【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第8回

おはようございます
今日で2月もラストの月曜日の朝です
28日しかないのに加え祝日が2日あって
余計にあっという間の1ヶ月という感じかも

さて大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第8回目

上総広常らの援軍により勢いを増す頼朝一行は
不協和音を抱えながらも鎌倉を目指して軍を進める
一方、京では平清盛が追討軍を送るべく急ぎ指示
奥州を立った義経は頼朝との対面を目指して出発
義時は頼朝の命を受け武田信義を
味方に引き入れるため甲斐へと向かう

ドラマのあらすじに関してはこちらへ→鎌倉殿の13人公式サイト

兄頼朝との対面を夢見て鎌倉を目指す義経
前回にも触れましたが頼朝は男子では9人兄弟
3番目ではあったが長兄次兄が亡くなったため
頼朝が長兄ということになり父の跡を継ぐ

義経は9男で母は常盤御前とよばれ義朝の側室でした
常盤御前は義朝との間には3人の子がいて
今若、乙若、牛若と名づけられた3人はともに出家

頼朝と同様に、この3人の子が処刑されなかったが
それは平治の乱の後、清盛の元に出頭した常盤が
子供達が殺されるのを見るのは忍びないから
先に自分を殺して欲しいと懇願したときに
その様子と常盤の美しさに心を動かされた清盛が
頼朝の助命が決定していたことを理由にして
今若、乙若、牛若を助命したとされています

その後清盛は常盤御前を妾にしたとの説もあるも
正確なところは記録は残っていないようです

今回頼朝の弟として登場した僧阿野全成
今若のその後の成長した姿といわれていて
牛若が成長してのちに義経となることから
阿野全成義経は同父母兄弟ということになります

義経の活躍とその後の悲運な人生のドラマは
判官贔屓といった言葉で源義経に対しての
同情や哀惜の心情として未だに使われています

義経はまだ牛若であったころ鞍馬寺に預けられるも
後に奥州平泉へ下り藤原秀衡の庇護を受けます
奥州平泉の地は平安時代から鎌倉時代まで
奥州藤原氏の独立王国として栄えた地ですが
その成立の過程では頼朝や義経の4代前に
あたる源義家が深く関与しています

その辺のくだりについては私が好きな所なので
触れると長くなるので次回以降気が向いたら触れます

この後の義経と頼朝の因縁は果たして
どんなテンポで描かれていくのでしょうか

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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