【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第26回

おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です

昨日も一日中事務所で引き篭もりで作業
その間に午前中に1件、午後から3件来客対応

さて大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第26回

頼朝が倒れ意識が戻らぬ中、鎌倉はにわかに
次の鎌倉殿の座を巡り様々な思惑が錯綜する
そんな中で義時は先を見据え大江広元らと
頼家を次の鎌倉殿とする新体制作りに動く
その一方、比企の力が増すことを嫌うりくが
時政をたきつけてこの流れに対抗する

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
鎌倉殿の13人公式サイト

頼朝は1192年に征夷大将軍となり1199年に死去
嫡男頼家征夷大将軍となったのは1202年でした

頼朝平氏政権と奥州藤原氏を滅ぼして
本格的な武家政権である幕府を創始しましたが
実質的な鎌倉幕府の創設の時期については
朝廷より守護地頭の任命権が下されることとなった
1185年とする説が今では有力とされています

私が中学校で習った頃は征夷大将軍となった
1192年をもって鎌倉幕府成立とされていましたが
実際の権力の掌握というのは今の時代のように
衆議院で指名されて内閣総理大臣に就任のような
法律に決まった権力承継ルールがあったわけではなく
権力とは闘いによって勝ち取っていくものであって
何々をもって統治機構が確立というものでは
なかったというのが実際のところなんだと思います

とはいえ頼朝以降は約675年間にわたり武士の棟梁が
征夷大将軍という地位につくことにより
鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府という軍事政権
建武の新政などの一時的な例外を除き
日本の統治機構の中心となる時代が続きます

1867年になり徳川慶喜大政奉還を行ったことで
薩長中心の明治新政府王政復古の大号令を発し
征夷大将軍職は廃止することとなりました

もともと征夷大将軍とは飛鳥・奈良時代に遡り
東北地方の蝦夷征討事業を指揮する臨時の官職で
鎮東将軍・持節征夷将軍・征東大将軍など
その時々によって様々命名されていましたが
奈良末期に大伴弟麻呂征夷大将軍に任命されたのが
歴史上最初の征夷大将軍と言われているようです

征夷大将軍という官職はそれまでは
征討先での軍事警察権を掌握する地位であって
あくまで東国を征討するための臨時的な役職
一説には頼朝征夷大将軍の就任についても
当時の奥州藤原氏を征討するためにの官職で
奥州制圧の後には征夷大将軍職については
辞官したという説もあるようです

時代によって征夷大将軍の政治的な意味合いは
変化していっているようですが
まあ、このあたりも深堀していくと
ドツボに嵌りそうなので
この辺にしておくこととします(笑)

次回から新章に突入ということで
鎌倉幕府内に繰り広げられる内紛
そして義時、泰時と後鳥羽上皇との新たなる戦い
など、ドラマは新しい展開へ

といったところですが次回は参議院選挙のため
放送は1週お休みのようですね

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

「【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第26回」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください