おはようございます
週の始まり月曜日の朝です
昨日は終日事務所で申請書類作成など
午前中には来客2件対応
で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第29回
信長の死という衝撃的な知らせが世を駆け巡る
光秀が家康を討てとの命令を下したことから
家康はあらゆる者から命をつけ狙われる
岡崎へ帰還すべく家臣団とともに逃亡する家康に
半蔵は服部党ゆかりの地である
伊賀を抜けるべきだと進言するが…
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→https://www.nhk.or.jp/ieyasu/story/
今回は世にいういわゆる「伊賀越え」のくだり
以前も触れましたが家康の3代危機と言われるのが
①家臣たちの裏切りに直面した「三河一向一揆」
② 武田信玄に討ち死に寸前まで追い詰められた「三方ヶ原の戦い」
③本能寺の変の後の決死の逃避行「伊賀越え」
家康が京に上った本能寺の変前の京都は
すでに織田信長によって治安整備されていたため
外敵の心配がなかったこともあって
家康は本多忠勝や井伊直政など重臣約50名の
少人数を引き連れての入京でした
しかし本能寺の変で光秀が実権を握ったことと
織田信長が亡くなったことで周囲の治安が急激に悪化
体制を整えるためにも約250キロの道のりを
何とか岡崎まで戻らなければなりませんでした
伊賀越えのルートには諸説があると言われていますが
本能寺の変から2日後には伊勢国白子から船に乗り
三河領内に無事の到着を果たします
実はこの難行を成し遂げたことも本能寺の変は
家康が黒幕で明智光秀は家康と内通していた
と言われる理由の一つでもあるのですが
さて真実はどちらか
本能寺の変が天正10年6月2日
伊賀越えで家康が三河についたのが同月4日深夜
山崎の合戦で光秀が討たれたのが同月13日
という速い流れでこの間の日本は大きく動きました
次回は信長に代わる天下人秀吉との戦いが始まる
第30回「新たなる覇者」
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
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