【考察】大河ドラマ「どうする家康」第41回!

おはようございます
10月も最後の月曜日の朝です

昨日は午前中は所用のため外出
午後になり1件別件の所用を済ませ
戻ってからは事務所で申請書類の作成

で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第41回

石田三成は失脚をし佐和山城に隠居となった
その一方で家康は大坂城西ノ丸に入り
政治を意のままに行う立場となるが
そんな家康を茶々らは苦々しく見ていた
そんな時、会津の上杉景勝に謀反の噂
家康は上杉征伐に向かうこととなるが
大坂を離れることに一抹の不安を感じ
鳥居元忠にある密命を授けた

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

大河ドラマも今回を含めてラスト8話

ドラマは関ヶ原の戦いへと突入するが
関ヶ原の戦いの約半年間にあるイギリス船が
豊後国臼杵(現在の大分県)の黒島に漂着

その船はオランダ船のリーフデ号でそこには
イギリス人航海士ら24人が乗船していた
そこに乗船してた1人がウィリアムアダムス

当時のヨーロッパでの宗教上の対立から
日本で活動していたイエズス会の宣教師は
オランダ人やイングランド人を即刻処刑するように
要求してたことから当初はリーフデ号一行は
海賊船として全員処刑されるところでした

しかし路程や航海の目的、オランダやイングランドなど
プロテスタント国とポルトガル・スペインらカトリック国との
紛争を臆せず説明するアダムズらを気に入って誤解を解き

家康は処刑を要求する宣教師らを意見を採用せず
幾度かにわたって引見を繰り返した後に釈放したのち
城地である江戸に招き通訳や西洋学問の教授として
その持っている知識の吸収に努めたほか
西洋式の帆船の制作にも尽力をします

特にウィリアムアダムスは後に領地を与えられ
250石取りの旗本に取り立てられ三浦按針
名を与えられ日本の武士として取り立てられました

日本のドラマでは三浦按針について軽く触れるものは
いくつか見たことはありますがしっかりと
描かれているものはあまりないような気がします

そんななかでですが今から43年前の1980年に
放送された時代劇「将軍 SHŌGUN」というドラマは
三浦按針を主人公にしたものだったのをよく覚えています

役名は「家康→吉井虎長」「石田三成→石堂和成」と
登場人物もキャラ設定もちょっと違いますが
漂流から捕縛、虎長に取立られ「三浦按針」という名を
与えられ侍(武士)として生きるとことろは同じです

とても見ごたえのあるドラマでしたが
残念ながらどこの配信サービスも
将軍 SHŌGUN」は配信されていないようなので
いまでは中々見ることが出来ないのが残念です

さて次回はいよいよ関ケ原の戦い
第42回「天下分け目」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

「【考察】大河ドラマ「どうする家康」第41回!」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください