おはようございます
1週間の始まりの月曜日の朝です
昨日は一日中ずっと事務所で作業
午後には来客2件対応
で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第46回
大阪冬の陣により難攻不落の大坂城は崩壊
茶々の妹初と阿茶が話し合い、
大阪城の堀を埋めることで和議が成立
だが乱世を望む荒武者たちは大坂城に集まり続け
家康は平穏な時代は豊臣の滅亡がなければ
訪れることはない感じ再び大坂城に兵を進める
そんな家康にお江とお初はあることを伝えた
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→どうする家康公式サイト
大河ドラマも今回を含めてラスト2話
大坂冬の陣の和睦交渉で豊臣の居城大坂城は
本丸、二の丸、三の丸の惣構・堀の埋め立てることが
和睦の条件となっていたにもかかわらず徳川方は
半ばだまし討ちで内堀の二の丸、三の丸を
埋め立てたというのが通説とされています
しかし惣構・堀の埋め立てについて
「本光国師日記」「真壁文書」といった各史料には
大坂城の外堀内堀を埋め立て、本丸のみを残すことを
豊臣方と徳川方がともに了解した事項だったことが
記されているそうで、堀の埋め立て自体は実は
家康のだまし討ちではないとされているそうです
ただし徳川方としては豊臣が二度と戦を行えないよう
することが一番の目的であったことから見ても
堅固な惣構、二の丸、三の丸を破却し
城の守りが出来なくなることにより防御機能を
封じることは悲願でもあったことも事実で
結局は埋め立てはなされる運命にあったようです
実際のうめたて工事の工程についての記録は
「鍋島勝茂譜考補」「義演准后日記」などの文献に
記されているのは埋立工事についての指示は
和睦が成立するとすぐに各地の大名へ伝達され
工事は実行されたとされています
しかし大坂城の規模があまりに巨大なため
埋め立て工事は前途多難ではあったようで
特に二の丸は予想外にも深い堀で土手を潰しても
作業はなかなか終わらなかったようです
最後は城内の家屋などを取り壊し
それらの廃材などで堀を埋め
ようやくに工事を終えたのであるようです
埋め立て工事後の大坂城を見た者は
「大坂城の堀が埋まり、本丸だけの浅ましく、見苦しい姿になった」
と率直な感想を漏らしてていてその姿は
以前の城からはかなり無様なものだったそうです
しかし結局は家康が危惧していたとおり
豊臣は再度挙兵しましたが、ただし堀を失った城は
もはや要塞としての役割は果たせず
結果はご存じのとおりです
さて、次回は最終回「神の君へ」
この一年間みて来た大河ドラマも
いよいよ最終回ですね、どんなラストが待っているか
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
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