なぜ、「玉の輿に乗る」というのか

 

おはようございます
1月も終盤に入りつつある土曜日の朝です

昨日は朝一から組合の依頼を受けて
外国人技能実習生の方へ法的保護講習の講師
カンボジアの方20人に向けて入管法と
労働法についてお話しをさせて頂きましま
夕方にクライアント先を周り事務所へ戻り
来客2件対応ののち色々と資料整理など

さて今から119年前の1905年1月20日に
アメリカの金融財閥モルガン商会創立者の甥の
ジョージ・モルガン氏が京都祇園の
芸妓お雪を見初め求婚したそうです

しかしそのとき、お雪には恋人がいたため
求婚に困ったお雪は断りを交えた
ちょっとした冗談のつもりで言ったのが

4万円で見受けしてくれたら結婚します

当時の4万円とは現在では約8億円相当で
まさか見受けすることはないと思ったところ
モルガン氏は了承し本当にお雪を見受け

妾としてではなく本妻として丁寧に迎えました

雪はそんなジョージ・モルガン氏の
思いに求婚を承諾し2人は横浜領事館にて
結婚式を挙げることとなったそうです

このエピソードが世界中の新聞に掲載されると
お雪は日本のシンデレラと呼ばれて
一躍全世界から注目される存在となりこの日を

玉の輿の日

として記念日に制定されるようになっのだとか

お金持ちに嫁入りすることなどをよく
玉の輿に乗った
などといいますが、これは嫁入りのとき
輿に乗った慣習から「輿入れ」という言葉があり

貴人が乗る輿を「玉の輿」と言ったことから
高貴な家、金持ちの家に嫁いで現在の地位から
立場を向上させるそんな女性の姿を

玉の輿に乗る」と称したことによります

また別の説としてあるのが3代将軍家光の側室
桂昌院」が玉の輿の語源であると言うもの

桂昌院はもともとは名を「お玉」といい
八百屋の娘でしたが侍女として大奥にいました
そこで春日局に見出されて家光の側室に抜擢
お玉が輿に乗って江戸へ嫁いだことから
玉の輿」と呼ぶようになったというもの
桂昌院はのちに綱吉を産み将軍の生母となります

まだ探せば語源は出てくるかもしれませんが

男性の場合はその逆だから
逆玉」なんて言い方をしますが
両方とも週刊誌をはじめ今でもよく聞きます(笑)

自分の中では
ほとんどフィクションの世界ですが(笑)

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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