俳人松尾芭蕉は実は〇〇だった?

おはようございます
はや10月も真ん中辺の土曜日の朝です

昨日は午前中に資料作成など色々と作業
それから東京品川の某官公庁へむかい
期限ギリギリに追加資料の提出
午後に事務所にもどり申請書類の作成

さて今から330年前の1694年10月12日は
俳諧師として多くの俳句を世に遺した
松尾芭蕉が永眠した日だそうです

この日は芭蕉を偲びその功績を讃えて
芭蕉忌(ばしょうき)とも呼ばれています

時雨忌(しぐれき)
桃青忌(とうせいき)」
翁忌(おきなき)

といったよびかたも使われているようです
芭蕉が全国を旅し始めたと言われるのが45歳

今でこそ人生80年時代で45歳といっても
まだまだこれからともいえる時代ですが
平均寿命が50歳前後の当時は45歳から始めた
この俳諧の旅はかなり高齢であり
移動距離やその速さは現代のスポーツ選手でも
割とキツい行程だったといわれています
そこでいわれているのが

松尾芭蕉=服部半蔵」説

また当時は藩境や要所には関所があって
幕府の関係者でもない限り諸国を自由に
行き来するのは困難だったことなどから

松尾芭蕉=幕府の隠密」説

なども言われています

また芭蕉と「かごめの唄」に関する俗説もあり
そのひとつが徳川埋蔵金に関する情報が
あるのでは…?というもので

優秀な逸材を発掘するために
埋蔵金を見つけてごらん的な意味合いから
かごめの唄」を全国に浸透させるために
諸国を周っていたのでは?

といったものだそうですがさて真実は如何に?

こういうマニアックな話題はハマり出したら
キリがなさそうなので、そのうち気が向いたら
また掘り下げていこうかなぁ(笑)

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

 

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