【考察】大河ドラマ「べらぼう」第10回!

おはようございます
3月2回目の月曜日の朝です

昨日は一日中事務所で作業
午前中に2件、午後にも2件
来客打合せなどなど

で、今日は月曜日ということで
大河ドラマ「べらぼう」の第10回

瀬川の身請けが決まり親父たちからその最後の
花魁道中に合わせ錦絵づくりを依頼される重三郎
調査に出ると自分の本が取扱い禁止となり
捨てられているといった事実を知ることとなる
江戸城内では意次はが家治から田安家の種姫
将来は家基と夫婦にする計画を告げられる、、、

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
べらぼう公式サイト

花魁」とは当時の吉原の中でまさに最高級の
遊女の代名詞として知られる存在ですが実は
その言葉が使われるようになったのは意外と遅くて
まさに劇中の明和(1764年頃)頃と言われています

初期の吉原は最高位が「太夫」と言われ続いて
格子女郎」「局女郎」という位があったそうです
しかしこうした遊女と遊ぶためには莫大な金が
かかったことから実際に出入することが
できたのは莫大な金を支払うことができた
大名や上級武士、大店の商人などといった
ほんの一握りの立場の者に限られました

17世紀後半以降岡場所(幕府非公認の私娼街)
摘発などによって安価に遊べる遊女が吉原に流入し
町人や下級武士も吉原に通えるようになっていき

一時は吉原全体が賑わいをみせたがその後
岡場所がふたたび賑うのに反比例して
吉原から客足が遠のいていきました

そうした中、重三郎の幼少期にあたる宝暦の
頃に「太夫」続いて「格子女郎」の名も消滅して
いきますが代わって最高位の遊女として
花魁が使われるようになっていきます

劇中で5代目瀬川が行ったような
高下駄を履いて外八文字にゆっくり歩く
道中」が見られるようになったのは
実際は江戸時代後期からと言われています

花魁太夫の実際の格付けや名称の使われ方は
時代によって多少の違いがあり
その都度変遷をたどってきているようです

そうした花魁太夫の中でも特に後世まで
その名が語られている存在も多いようですが

劇中5代目瀬川その他にも
仙台高尾薄雲太夫吉野太夫
榊原高尾小紫太夫紺屋高尾
などがいくつかの伝説とともに後世まで
その存在は語り継がれてるようです

次回、重三郎は浄瑠璃の元締め鳥山検校を訪ね
瀬川と再会するが……..第11回「富本、仁義の馬面」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

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