虎の寝そべっている野辺を突き進め

おはようございます
6月2回目の土曜日の朝です

昨日は午前に来客2名対応打合せと
申請書類作成と某所にて所用対応
午後からは来客1件対応と
クライアント先にて打合せ
事務所にて申請書類作成と
夕方からはクライアント先にて打合せ

さて今から187年前の1838年6月14日は
明治の元勲である山県有朋が生まれた日

長州藩の蔵元附中間という足軽より低い
とされる身分の家の生まれであったが
幼少より学問にも武芸にもすぐれていた

その後尊皇攘夷派の影響を受け松下村塾に入門
また上海に渡航した高杉晋作に代わって
奇兵隊軍監として大いに活躍するも
馬関戦争での四国連合艦隊との交戦で負傷した際
武器と兵制の改革の必要性を痛感したことから
尊王攘夷論から開国論に転じる

長州藩内の佐幕派と倒幕派が激突した
いわゆる大田絵堂の戦いでは奇兵隊軍艦として
長州藩藩論を倒幕へと決定づけた戦いの勝利に貢献

戊辰戦争では奇兵隊を率いて
北陸道鎮撫総督兼会津征討総督の参謀として
長岡攻略戦に河井継之助らと戦い
さらには後に会津攻略にも参加

明治維新後は渡欧し各国の軍事制度を視察
帰国後は暗殺された大村益次郎の遺志を継いで
軍制改革を行い徴兵制導入に中心的役割を担う

その後陸軍卿となり参謀本部の設置、軍人勅諭制定
良くも悪くも日本陸軍の実質的な建設者として
山県有朋の存在は更に絶大なものとなる

1889年には第9代内閣総理大臣に就任
軍備拡張を進めるながらも第2次山縣内閣発足
参謀総長、枢密院議長なども歴任

伊藤博文亡きあと最大の発言力をもつ元老として
軍や政界に重きをなし首相選定の主導権を握り
日本軍閥の祖」の異名をとる

歴史上、最下級の身分から最高権力者となった
いわゆる成り上がり者と言われる存在は
何人かいますが私はこの山県有朋こそが
日本の歴史上最も成り上がり者と言えると思います

以下、山県有朋の言葉

———

弱い羊だけが群がっている世の中など嫌だ
虎の寝そべっている野辺を突き進め

憲政は欧米人の特有にあらず
わが憲政の前途多望なり

天(あま)つ日の光はきえてうつせみの
世はくらやみとなりしけふかな

———

どちらかと言えばドラマとしては
地味な存在と言える山県有朋

山県有朋を主人公にしたドラマって
多分今までなかったんじゃないかなぁ

足軽から色々な人物と関わりながら
幾度とも言えないくらいの戦いを経て
最後はこの国の最高権利者へと登り詰める

そんな山県有朋の生涯を描いた
大河ドラマをそのうちやらないかなぁ

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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