【考察】大河ドラマ「べらぼう」第28回!‎

 

おはようございます
7月最後の月曜日の朝です

昨日は一日中事務所で作業
申請書類作成と資料整理
オンライン申請で2件申請

で、月曜日というけとで
大河ドラマ「べらぼう」第28回

江戸城中で田沼意知が佐野政言に斬られ命を落とす
佐野政言は切腹となるが佐野は何故か喝采を受ける
市中を進む意知の葬列に突如石が投げ込まれ
場が騒然となる中誰袖は棺を庇い駆け出した…
重三郎は誰袖のために意知の無念を晴らす
術を考え始める

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
大河ドラマべらぼう公式サイト

歴史の教科書に「田沼の時代」と書かれるほど
幕府内で権勢を誇っていた田沼意次でしたが
これも歴史の教科書に書かれていた通り
嫡男田沼意知の暗殺から陰りが見え始めます

ほとんど触れられることはありませんが
この時実は意知には既に嫡男がいたそうです
田沼意知の嫡男田沼意明(たぬま おきあき)は
1773年に田沼意知の長男として誕生しますが
母親については詳しくわかっていなようです

田沼意壱(おきかず)・田沼意信(おきのぶ)
ら兄弟がおり元服後は出羽高畠藩主織田信浮の
長女喜姫を正室に迎えたそうです

祖父意次が失脚すると所領である遠江相楽藩は
最盛期の5万7千石から半分以下に減封され
松平定信の更なる追い討ちで意明は
陸奥下村藩1万石へ転封されてしまいます

1776年24歳で世を去りますが子供はおらず
弟の田沼意壱を養子として家督を継がせました

不遇な生涯の田沼意知嫡男田沼意明でしたが
その後田沼家は次々と当主を替えて代を重ね
1804年に下村藩主第5代当主となった
田沼意正(おきまさ。意次の子で意知の弟)によって
旧領である遠江相楽藩への復帰も許され役職も
若年寄や側用人を務めるまで復帰することになります

この辺は描かれることはないと思いますが
この頃の幕政を動かしていた徳川家斉・一橋治済の
何らかの力があったのかもしれません

次回、重三郎は政演が持ち込んだ絵で黄表紙を作りたいと
戯作者たちに提案、第29回「江戸生蔦屋仇討」

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

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