【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!第13回」

 

おはようございます
4月最初の月曜日の朝です
昨日も一日中事務所で作業
午前中に来客2件対応打合せ
午後からも来客2件対応打合せ
オンライン申請で1件申請など
あとはひたすら申請書類の作成

で、月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第13回

信長の指示によら小一郎は安藤守就の娘慶を
娶ることになり藤吉郎は喜ぶが慶には悪い噂が
あることから周囲は心配をしていた
しかもある理由から織田家を憎んでいた
そんな中信長は越前朝倉氏との戦を決意する
信長は長政に後方の守りに徹してくれればいい
と告げるが戦が始まると長政は父久政らから
朝倉方につくよう迫られていた

今回のストーリーはこちら
大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト

豊臣秀吉の天下統一を陰で支えた
名補佐役豊臣秀長でしたがその秀長の
人生を語るうえで欠かせない存在が
正妻の慶(ちか)でのちの慈雲院です

しかし史料には実名がほとんど残されておらず
」という名も後世の創作であったか
法名「芳室紹慶」に由来すると考えられています

ただ彼女が秀長の正室として長く連れ添い
夫亡き後も豊臣家を静かに支え続けた
女性だったということのようです

の出自には諸説ありはっきりしたことは不明
ただ秀長がまだ木下小一郎と呼ばれていた
若き時代から夫婦であったとみられていて
まさに「糟糠の妻」と呼ぶにふさわしい存在

兄秀吉が戦場と政略で駆け回る一方で
秀長は内政や調整役として才能を発揮しましたが
その安定した働きの背景にはやはり
家庭と家中を支える慶の存在があったのでしょう

1585年秀長が大和紀伊和泉を治める
大大名となり大和郡山城に入るようになると
の役割もさらに大きくなって行ったようです

城内の奥向きをまとめ家臣の家族や寺社との
関係を整え夫が政務に専念できる環境を築きました

夫婦の間には嫡男与一郎がいましたが早世し
その後の家督は養子の秀保へと引き継がれます
しかし1591年に秀長が病没するとは出家

法名を慈雲院と名乗りました
高野山奥之院には秀長のために建立した
大きな五輪塔が今も残されておりその隣には
自身の供養塔も並んでいるそうです

そこには死後も夫と並び立とうとする
深い愛情と覚悟があったのではないでしょう

歴史は英雄の名を大きく残しますが
その英雄を支えた人々の存在があってこそ
時代は動くともいえますが慈雲院慶はその象徴で
豊臣秀長の穏やかで誠実な人柄を映す
“もう一つの鏡”だったのかもしれません

そんな慶ですがさて劇中ではこれから
どのような描かれる方をするのでしょうか

浅井長政が信長を裏切り朝倉方へ
窮地のなか秀吉はしんがりをつとめる
兄弟の命がけの撤退戦が始まる!
次回、、第14回「絶対絶命」

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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