「情報」と「知識」についての3回目
前回、前々回と用語の定義について
言葉の成り立ちといった
レベルにまで深堀してしまいました
寧ろ余計に訳が分からなくなった(笑)
さておき、まあまとめとしては
「情報」とは様々な「事象、事物、過程、事実」
ネットの普及以前は、それらの情報は、
文献にあたるとかメディアを通して、
といった方法か、さもなくば
直接現場に行くということが
「情報」に触れるということ
普通一般の人にとってみれば
「情報」に触れること自体が
価値があることであって
「情報」自体が価値の高いもの
といってもよかった
しかし、インターネットの普及は
「検索機能」
「SNS」
「ポータルサイト」
「ネット動画」
と言ったツールなどから
いつでも様々な情報に触れるか
むしろ埋もれているといっても
過言ではない現状にある
もはや「情報」そのものの
希少性は薄くなってきている
ちょっとした事実なら
ちょっとネット上をたどれば
誰でもその分野のちょっとした
評論家や解説者になれる(笑)
そんな状況の中で価値があるのは何か?
それは他にない「希少情報」
それはその人にしかない「情報」
それはすなわちその人の
「体験」「経験」と言ったフィルターを
通して加工や味付けした「情報」
わたしはそれを「知識」というように
定義をしたいと考える
知識は全ての人の中にあるもの
その知識が一部の分野では
価値をもってやりとりされている
知識は一部の知識人のものではなくて
知識を発信することが価値であると
気付き始めた全ての人にとって
大きな価値となったいるのだ
YouTuberなんていうのが
その典型的な姿だろうなぁ
メルカリも個人がもつ知識を
売買の対象に出来るような
サービスを始めるって出てましたね
情報を自分のフィルターを通して
知識に変換するということ
そのことがもっと価値を持つ
それがきっと情報と知識の違い
ということの意味なのかも知れない