
おはようございます
2月真ん中の月曜日の朝です
昨日は一日中事務所で作業
ひたすら資料整理と申請書類の作成など
午前中に来客1件対応打合せ
午後は近くの会館にイベントの見学
で、月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第6回
大沢次郎左衛門は信長から暗殺の企ての
疑いがかけられるが小一郎の機転で
その場での手打ちは免れる
鵜沼城に残った藤吉郎の命を助けるため
翌日までに大沢の無実を証明することにる
調査に奔走する小一郎は市に信長への
口添えを頼むが市はそれを断る
手詰まりの小一郎は驚きの行動に出る
今回のドラマに関してはこちらへ
大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト
大沢次郎左衛門は美濃国宇留摩(鵜沼)城主と
伝えられる人物で『寛永諸家系図伝』などの
史料にその名が記されていますが生没年などの
詳細ははっきりとはしていないようです
もともとは美濃の戦国大名である斎藤道三に
仕えていたとされていて一説には道三の
娘を妻にしたという説もあり彼は斎藤家中でも
重要な立場にあった可能性もあります
しかし戦国の世は常に勢力図が塗り替わる
時代でもあり永禄年間に入り織田信長が
美濃攻略を進めると次郎左衛門もその渦中に
巻き込まれて行くこととなったようです
軍記物『太閤記』によれば永禄9年(1566年)に
大沢は当時の木下秀吉の仲介で信長に降るも
信長から命を狙われる事態に陥ってしまいます
秀吉の機転で何とか危機を逃れたとという
いう逸話は彼の波乱の生涯を象徴しています
その後の次郎左衛門は足取りをみると
信長没後は柴田勝豊から知行を与えられ
さらに秀吉やその甥である豊臣秀次に仕えて
約2,600石を領したとも伝わっています
主君を替えながらも家を存続させた姿は
戦国武将の現実的な生き方を物語っています
晩年は流浪の末に小田原の万松院に寓居し
76歳で没したと『寛永諸家系図伝』では
記されているようですがこれらの逸話には
後世の脚色も含まれている可能性もあり
どこまでが史実なのかは不確かなようです
とは言え、次郎左衛門の名が記録や物語に
残り続けてきたこと自体が彼が実在の
人物としての存在感を物語っているかも
次回、墨俣一夜城のくだりかなぁ
第7回「決死の築城作戦」
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
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