【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第22回!

 

おはようございます
今日から6月も2回転目の月曜日の朝です

昨日は一日事務所で申請書類の作成
午前中に来客1件あり対応打合せ

で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第22回

一度は播磨を手中に収めたかに見えた秀吉だが
半兵衛の悪い予感が的中し服属したはずの
国衆たちが反旗を翻して毛利宇喜多も挙兵
秀吉は尼子勝久らを見捨てて撤退することに
自責の念にさいなまれる秀吉は、ある夜
頭を打ち記憶をなくしてしまう

今回のストーリーはこちら
大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト

尼子勝久は自ら天下を狙った武将ではなく
滅んだ名門を再興する
という夢を背負わされた若き当主でした

尼子家は出雲国を本拠とし最盛期には
尼子経久が中国地方八か国に渡って
勢力を広げた戦国大名でした

しかし毛利元就の台頭によって次第に衰退し
1566年の月山富田城落城によって事実上滅亡

この一連の流れは
1997年大河ドラマ毛利元就
で描かれています

勝久は1553年に生まれましたが幼少期に
一族の内紛によって父や祖父を失います
自身は難を逃れ京都の東福寺で
僧侶として暮らしていました

ところが尼子家滅亡後に
家臣の山中鹿介(山中幸盛)らが
「尼子再興」の旗印として勝久を探し出し
当時まだ十代であった勝久を還俗させ当主に

山中鹿介といえば
願わくば我に七難八苦を与えたまえ
の言葉で知られる名将ですが
彼は滅んだ主家への忠義を貫き
勝久を中心に尼子家復興の動きを展開

一時は出雲へ進出し旧領回復も
目前まで迫りましたが1570年の
布部山の戦いで大敗した後には
織田信長を頼ることになります

中国地方攻略を任されていた羽柴秀吉
毛利氏と戦うため尼子勢力を
重要な味方として利用しました

勝久もまた秀吉の配下として各地を転戦し
尼子家再興の機会をうかがいましたが
劇中で描かれた通り
その夢が叶うことはありませんでした

1578年播磨国の上月城が毛利軍によって包囲され
織田軍の援軍は間に合わず勝久は城内で自刃
山中鹿介も捕らえられその後命を落とします

こうして戦国大名尼子氏再興の夢は
完全に潰えることとなりました

歴史を振り返ると尼子勝久は
信長や秀吉のような天下人ではありません
しかし滅んだ家を再び立てようと懸命に生きた
その姿は多くの人の心を動かしました

「豊臣兄弟!」では羽柴兄弟の中国攻めを
描くうえで欠かせない存在として登場しました

華々しい成功者ではなく夢半ばで散った
若き当主尼子勝久はその悲劇的な生涯こそが
戦国時代の厳しさと人々の忠義を
象徴しているとも言えるかもしれません

次回いよいよ半兵衛が、、
第23回「さらば半兵衛」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

 

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