大相撲の横綱 稀勢の里 関が引退を表明
様々な言葉がSMSにも色々と出ていますが
まあ、まずはとにかくお疲れさまでした
そして今後は相撲界の発展のために立派な
力士を育ててほしいと思います
稀勢の里関の師匠であったのは先代鳴門親方で
現役時代は元横綱隆の里でした
初代若乃花であった初代二子山親方は
故郷の青森県に来て地元で評判の良かった
下山勝則という少年をスカウトしたんですが
そこで乗ったタクシーの運転手から
「親方、浪岡にも大きいのがいますよ」と
言われたのに反応し、是非にと紹介を頼んだら
これが高谷俊英という少年で後の横綱隆の里
ちなみに最初の下山少年は後の二代目若乃花
同じときにスカウトした二人の少年が
二人とも後に横綱になるという凄さです
しかし隆の里は入門後、長く糖尿病に悩まされ
同時入門の二代目若乃花に大きく後れを取った
過酷な糖尿病治療を乗り切り当時としては
遅咲きの30歳11か月で第59代横綱に
千代の富士とともに土俵を湧かしました
私はよく覚えているのが昭和58年秋場所
千代の富士との全勝同士の千秋楽結びの一番
横綱在位は15場所でそのうち7場所は休場
後半の8場所のうちフル出場は1場所のみ
横綱としては短命だったかもしれません
糖尿病に耐えて克服し横綱になったその姿から
「おしん横綱」ともいわれました
そのような師匠に見いだされ育てられた稀勢の里
なんとなく軌跡は似ているような気もします
引退の記者会見で述べた言葉は
——
私の土俵人生において一片の悔いもございません
——
一部では北斗の拳の北斗3兄弟の長男ラオウの
「我が生涯に一片の悔いなし」
の名セリフを彷彿されると話題になっています
稀勢の里は実際に「ラオウ」の化粧まわしを
つけたこともあったということですね
日本人横綱がいなくなるのはちょっと寂しい
と感じるのは正直な偽らざる気持ちですが
別の役割で今後の相撲界を盛り上げてほしいです
横綱稀勢の里は記憶に残る横綱として
私達の相撲史に名前を刻むでしょう
「人生において、一片の悔いもございません」へのコメント
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