本能寺の変の黒幕は誰だったのか?③

おはようございます
激動の日々が続いている木曜日
オリンピックが延期が決まったと思ったら
東京で感染者が一気に増え始めました
やっぱ怖いのは緩んだ瞬間に一気に
感染が広がってしまうことです
今週の土日も引きこもりしかないなぁ

昨日は朝は早めの出社
申請書の作成作業をしてから
いくつかで所用を済ませてから水戸へ
入管水戸出張所で変更更新申請を5件
午後はそのまま水戸で書士会の研修会
約3時間でしたがずっと座ってるのは
思った以上にきつかった(笑)
夕方に事務所にもどり書類作成

ということで本能寺の変についての続き
家康は今川義元の元で元服し正室を迎えます
正室となったのは義元の姪であった瀬名姫
後の築山御前ですがこの築山御前
嫡男の信康を設けるのですが後に
この嫡男と築山御前は謀叛の疑いから
信長の命で共に命を落とすことになります

一方、天正7年に進みますが明智光秀は
信長より丹波攻略を任されていました
対する相手は丹波の戦国大名の波多野氏
しかし波多野氏を懐柔するため
自身の母親を人質として送り込むことに
その後、丹波攻略は成功し波多野氏は降伏
そこで光秀は波多野氏の助命を嘆願しますが
信長は聞き入れず降伏してきた波多野秀治と
その弟を磔にして処刑され波多野家に
人質となっていた光秀の母親は
報復のため殺害されてしまいました

家康は正室と嫡男
光秀は母

お互いに大事な肉親を信長によって
不幸にも亡き者とされるという共通点

それだけではなく実は家康が本能寺の変
事前に知っていたと考えると理解出来る点や
家康と光秀のその後の意外な繋がりが
じつはあるのですが今回思ったより
長くなってしまったのでそこについては
次回ふれてみますね

世間はまだまだ落ち着きませんがとにかく
やれることをやって乗り越えるしかありません

さあ、あなたはどんな対策やってますか?