
おはようございます
2月最初の月曜日の朝です
昨日は一日中事務所で作業
ひたすら資料整理と申請書類の作成など
夕方に来客一件あり対応打合せ書類
で、月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第5回
小牧山城に拠点を移した信長の命により
織田家中での御前試合を開かれる
小一郎は試合で藤吉郎のライバル前田利家の
鼻を明かすべく一計を案じるが、、、
今回のドラマに関してはこちらへ
大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト
後に豊臣秀吉の正室となる寧々(北政所)は
尾張国の杉原定利の娘として生まれますが
後に織田信長の弓頭浅野長勝の養女となります
劇中で寧々の父となっているのが浅野長勝で
その妻つまり養母は寧々の実母の妹になります
寧々は杉原定利と朝日殿の娘として
尾張国朝日村でこの世に生を受けました
その生年には諸説あり実は明確には
分かっていないようです
ねねの名前にも諸説あり伝記「太閤素生記」には
同音で「禰々」とする表記が見られるそうです
豊臣秀吉がねねに送った書状からは
「お禰」(おね)と記されているようですが
名前がねねで愛称として「おね」と呼ばれていた
可能性が高いと考えられてるんだとか
最近の大河ドラマでは「おね」の方が多いかな
1561年になるとねねは「織田信長」の家臣
であった木下藤吉郎秀吉と結婚します
しかしこのとき、ねねの実母朝日殿が大反対
なぜならねねが養女となった「浅野家」は
れっきとした武士の家柄でしたが
その一方で、農民出身の秀吉は
浅野家に比べると身分が低かったという理由
のちに秀吉が出世して大名になったあとも
朝日殿は2人の結婚を認めなかったとも
言われていますが、今回のドラマでは
こうしたくだりは描かれるのでしょうか?
浅野家は豊臣政権下の有力な姻戚として
長勝の跡取りとなった長政の代には
大名へと大きく躍進しすることになります
秀吉は浅野家を身内として厚く信頼し
ねねの義理の弟である浅野長政は
秀吉の側近として五奉行の筆頭を務めるなど
豊臣政権の中心人物となります
秀長が織田信長に仕え始めた時期については
実ははっきりとした年次について正確な
史料として残っているものはないようですが
通説では――
天正元年(1573年)前後 と考えられています。
秀長は、兄藤吉郎が織田信長に仕えて
頭角を現していく過程でその配下として
行動を共にするようになって行ったようです
秀長の名が史料として比較的はっきりと
確認できるのようになるのは
*天正元年(1573年)
*浅井・朝倉滅亡後の近江支配
*秀吉の長浜城主時代
あたりからのようなので
少なくとも桶狭間の頃はまだ武士には
なっていなかったとみるのが通説のようですが
この辺は定かではないようです
何も持たない人物がその実力で
一歩ずつ上り詰めていく姿は
見ていて気持ちのいいものでもあります
今後はどんか描かれ方がしていくのでしょう
で、次回は選挙特番のたも
大河ドラマの放送はお休みのようです
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
「【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第5回」へのコメント
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