【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第29回

おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です
そして今日から8月が始まります

昨日も一日中事務所で引きこもりで作業
というか引きこもりという意識すらない(笑)

で、昨日は日曜日だったので
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第29回

梶原景時が失脚したのに続き三浦、安達も亡くなり
13人の御家人たちのバランスも崩れ始める
義時は北条と比企との争いの激化を懸念する
そんな中で頼家の正室つつじが頼家の次男善哉を出産
一方、北条時政とりくはある依頼を全成に・・・・

ドラマのあらすじに関してはこちらへ→鎌倉殿の13人公式サイト

北条頼時から頼家の命により改名をした北条泰時
吾妻鏡』によれば、1194年2月2日に13歳で元服の折
烏帽子親となった源頼朝から「頼」を賜って
頼時(よりとき)と名乗ったとされていましたが
いつどのような経緯で泰時と改名したかについては
実のところははっきりしていないようです

しかし『吾妻鏡』には1200年の段階の記載では
泰時は「江間大郎頼時」となっていたものが
1201年の記載で「江間太郎泰時」と変わってたようで
改名はこの間に行ったものと考えられているようです

ドラマでは頼家の命で改名したという流れで
併せて頼家から近習からも外されてしまいました

歴史の流れから見ればここで頼家から
遠ざけられたことは泰時にとって
マイナスではなかったことになります

泰時は1224年に父義時の後を受けて
第3代執権になりますがこの5年前の
1219年に3代将軍実朝が暗殺され
源氏の血統は途絶えていることから
実質的に執権が鎌倉幕府の最高権力者であり
一説には泰時が実質的には初代執権として
鎌倉幕府での執権政治を確立させた
といった説もあるようです

今回は義時が主人公のドラマなので
義時が亡くなった後をどの辺まで
描くのか微妙なところかもしれませんが・・

冒頭善児が出てきましたが
後継者と目される「トウ」を紹介
やはりあの時の子供なのか?
このまま善児は引退してしまうのか?

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

「【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第29回」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください