おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です
昨日はずっと事務所で作業
午後からは来客2件あり対応
そのあとはひたすら申請書類作成
作っても作っても終わらない・・・・・
で、昨日は日曜日だったので
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第38回
義時と時政の親子による主導権争いは激しさ増し
義時は時政の館を包囲し攻め込む機会をうかがう
状況を冷静に見た時政はある行動にでる
一触即発の緊張の渦の中、政子の行動は……
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→鎌倉殿の13人公式サイト
北条親子の争いは企ての失敗を悟った時政は出家し
妻牧の方とともに鎌倉から追い出され
伊豆国(現静岡県三島市)へ隠居をすることとなる
世にいう「牧氏事件」は息子義時が父親時政を
追放するという形でその決着とんなるが
その後義時政権は平賀朝雅を殺害する
歴史を振り返ると「牧氏事件」の結末のように
息子が父親にクーデターを起こし追放するとか
攻め滅ぼしてしまうといった出来事で
特にパッと頭に浮かんでくるのが2つの場面
まず一つ目は「武田晴信」と「武田信虎」
武田晴信とは言わずとしれた武田信玄
1541年信濃国から帰国した信虎は娘婿である
今川義元と面会するため駿河国に赴いたが
駿河から信虎の甲斐への帰路に対し
信玄は甲斐と駿河の国境を封鎖して
信虎が帰国できないようにして甲斐から追放
晴信はここで譜代の家臣の支持を受け
父の代わりに武田家の当主の座に着く
もう一つは「斉藤道三」と「斉藤義龍」
斉藤道三は家督を子の斎藤義龍へ譲り自らは
剃髪入道を遂げて道三と号し鷺山城に隠居する
もともと道三は義龍よりもその弟たちを溺愛
更には娘婿である織田信長に対しては後に
美濃を信長に譲るという密約があったという噂
いつしか道三と義龍の不和は顕在化することとなり
ついに義龍は道三に対して挙兵に至ります
既に家督を譲っていた道三に対して
味方しようとする家臣はほとんどなく
17,500対2,500の兵力の戦いは圧倒的数をもつ
義龍軍が勝利することとなり道三は63歳で戦死
大河ドラマは来週はスペシャル版で
本編は再来週となりますが
名実ともに実質的な権力の頂点についた義時
残っている御家人三浦や和田との関係はどうなるか
後鳥羽上皇との戦いはどのように描かれていきか
義時に批判的な泰時はどう成長して父を超えるのか
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
「【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第38回」へのコメント
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