【考察】大河ドラマ「どうする家康」第12回

 

おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です

昨日は一日事務所で申請書類の作成
午前中2件、午後は1件来客打合せ

と、いうことで日曜日の夜なので
大河ドラマ「どうする家康」第12回

武田軍から攻め込まれたばかりか
家臣にも見限られた氏真はやむなく駿河を捨てる
妻からは実家である北条に身を寄せるように
勧められるが氏真は耳を貸さなかった
掛川城で氏真と直接たたかう家康
そのとき妻糸は今川義元の本意を伝える

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

今川氏真は義元と武田信玄の父信虎の娘である
定恵院との間に今川家の嫡子として生まれました
その後に北条氏康の長女早川殿(ドラマでは糸)と
結婚し、そこで甲相駿三国同盟が成立

尾張に侵攻した義元が桶狭間の戦いで
織田信長に討たれたのは1560年
氏真は今川家の領国を継承することとなります

しかし桶狭間では重臣が多く討死となるのに加え
松平元康をはじめ多くの家臣が離反をしていき
駿河の盟主であった今川家は弱体化していきます

今川を滅亡に追いやった者として氏真は
歴史上は無能の評価がなされていますが実は
晩年は江戸時代までその命を長らえていたようです

日本治りたりとても、油断するは東山義政の茶湯、
 大内義隆の学問、今川氏真の歌道ぞ

と揶揄はされてはいますが文化人教養人としての
一面では存在感を残していったとされています
氏真の和歌・連歌・蹴鞠などの技芸に通じた
文化人としての一面は実はその後の子孫にも
教育で受け継がれて行ったようで

その子孫達は
江戸時代になり平和な世になると今川の子孫は
江戸幕府において朝廷や公家との交渉役として
高家に抜擢されて行ったようで文化人としての
能力で登用されることとなっていたようです

まさに芸は身を助けるといった感でありますが
劇中ではもう氏真は登場することはないかなあ

次回は家康は将軍足利義昭の命で京へ向かう
第13回「家康、都へゆく」

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

 

 

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