人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごとし

 

おはようございます
今週もはやっ、の金曜日の朝です
そしてとうとう今日は3月最後の日です

昨日はちょっと早めの出社で申請書類作成
で、午前中にクライアント先2件廻り
午後からは官公庁1件とクライアント先1件
事務所に戻りひたすら申請書類作り
で夜に来客1件あり対応ののち作業のつづき

何となく年度末になると触れる話題

人は生まれながらにして善である
という思想を性善説といいます

もともとは人の善悪については当時
人の性には善もなく不善もなく
そのため良い指導者が現れると民は善を好み
逆に悪い指導者が現れると民は乱暴を好む
と言われていて、人の善悪については
その時の状況で変わると説かれていました

人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごとし

これは孟子の有名な言葉で、孟子
人の性は善でありどのような聖人も小人も
その性は一様であると主張し性善説を主張

人が性が善でありながら
時として不善を行うことについては
この善なる性が外物によって
失われてしまうからだとしました

それに対する考え方が荀子の性悪説
ここでいう悪とは悪いということではなく
弱いという意味に近いようですね

翻って自分自身を振り返ってみると
分類すると私はお人好しタイプなので
孟子の言葉がすっと入ってきます(笑)

———-

仁は人の心なり、義は人の路なり

仁は人の自然な心であり
義は人が踏みゆくべき
正しい道であるということ

万物みな我に備わる
身に反して誠なれば、楽しみ、
これより大なるはなし

うちに備わる力を作動させ
誠実無垢な境地に達すれば
それ以上の楽しいことはこの世にはない

人を存るは、眸子より良きはなし
眸子はその悪を掩うこと能わず

人を見分けるのに瞳ほど正直なものはない
瞳は心の悪を覆い隠せないということ

天の時は地の利に如かず
地の利は人の和に如かず

天から与えられた好機も
立地条件の良さにはかなわない
しかし、それさえも
組織の結束力には及ばないということ

———

まあ、善か悪かといことを
二律背反で分類するのも
あまり意味はないかなぁ

年度末に向けてのまとめの作業は
まだまだたくさん残っています

山のような仕事、抱え込んでばしのいでる♪
J BOYの一節がリフレインする気分
頑張ってみんなやり切らなきゃ

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

 

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