【考察】大河ドラマ「どうする家康」第43回!

おはようございます
1週間の始まりの月曜日の朝です

昨日は午前中は所用で外出
午後からは事務所にて作業

で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第43回

真田の罠にはまってしまい秀忠率いる主力軍が来ない中
圧倒的に数で西軍に劣る家康だが野戦での勝負を決断
と同時に小早川が徳川に寝返ったとの大量の密書をばらまく
優位に立つ三成であったが毛利の援軍が来ない
両軍の神経戦の中、天下分け目の大戦が始まる

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

大河ドラマも今回を含めてラスト6話

関ヶ原の戦いの開戦当初はそせ勢力は
東軍753,000西軍108,700と言われ
数の上では西軍の有利な状況で開始しました

しかしわずか6時間で東軍の圧倒的な
勝利でその戦いの幕は閉じました
数で勝る西軍はなぜこんなに簡単に
敗れることとなったかというとやはり
一番の理由は味方の裏切りがあったこと

関ケ原で裏切りというと真っ先に
名前がでるのはやはり小早川秀秋でしょう

小早川秀秋は1582年におねの兄木下家定の
五男として近江国長浜に生まれました
2歳で叔父である羽柴秀吉の猶子となり
その後3歳の時に秀吉の養子になります

幼少よりおねに育てられ元服して木下秀俊
のちに羽柴秀俊(豊臣秀俊)と名乗りました

秀吉の後継者候補として7歳で元服し豊臣秀勝の
領地であった丹波国亀山城10万石を与えられます
1591年には豊臣姓が確認され1592年には丹波中納言と
呼ばれるようになり豊臣家の継承権保持者のひとりでした

1593年に秀吉に実子豊臣秀頼が生まれたことで
小早川家当主小早川隆景が秀俊を毛利輝元の養子に
との話が持ちかけられたことからこれを聞いた隆景は
秀俊を毛利家ではなく小早川家の養子に貰い受けたいと
申し出て認められたことから秀俊は小早川家の養子となる

これは小早川隆景が本家である毛利家に
他家の血筋が入るのを恐れたという説と
小早川家に秀吉の縁者を養子とすることで家格が
上がることを狙ったという説があるとされています

後に小早川隆景の死に伴い秀俊から秀秋に改名
ここで小早川秀秋が誕生することとなります

毛利元就は中国地方の小国の国主でしたが
その知略で大国であった大内家や尼子家を破り
中国地方の覇者となりましたがその過程では
3人の息子であった、隆元、元春、隆景が
いわゆる3本の矢と言われるとおりその
協力体制が大きな力であったと言われています

吉川家を継いだ元春と小早川家を継いだ隆景が
毛利家本家を支える「毛利両川」の体制でしたが
それぞれ代が替わり次の世代である
毛利輝元吉川広家小早川秀秋の代には
毛利輝元が西軍の総大将となり敗北する
ということとなりましたが

吉川広家小早川秀秋が徳川方となったことなど
毛利家が取り潰されることは逃れたものの
ほぼ中国地方全体であった毛利家の領地は
現在の山口県である周防長門の二か国とされます

まあ歴史の面白さはこの毛利家の長州藩が再度
中心となって倒幕明治維新となるところで
この流れはいつみてもなんかワクワクします(笑)

次回は家康が征夷大将軍になり大阪で新たな動き
第44回「徳川幕府誕生」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

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