
おはようございます
3月も後半に入った日曜日の朝です
昨日も一昨日に引き続き所用対応
で、月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第10回
信長(はついに美濃を攻略し、半兵衛は藤吉郎の
家臣となっていたがそんな中、足利義昭の
使いとして明智光秀が信長を訪ねてくる
さきの将軍を亡き者にした三好一族を討ち
上洛して義昭を将軍に擁立してほしい
というのだが、、、
今回のストーリーはこちらから
→大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト
足利義昭は、室町幕府第12代将軍足利義晴の
次男として1537年に生まれました
当時の足利将軍家では嫡男以外の男子は
出家するのが慣例となっており
家督を継ぐ立場にない者は僧侶の道に
進むのが一般的でした
義昭も例外ではなくわずか6歳のとき
奈良の興福寺一乗院に入室します
そこで「覚慶(かくけい)」という名を与えられ
僧侶としての人生を歩むことになりました
当初はそのまま仏門の世界で生涯を送るもの
と思われていましたがある出来事が彼の
運命を大きく変えることになります
1565年、京都では大きな政変が起こりました
室町幕府第13代将軍であり義昭の兄でもあった
足利義輝が三好三人衆や松永久通らによって
襲撃され二条御所で殺害されてしまったのです
これがいわゆる「永禄の変」
将軍を失った幕府の中で次に
狙われる可能性があったのが義昭でした
義昭は奈良からの脱出を余儀なくされ
僧侶の身分を捨てて還俗します
そして、自らが将軍となり幕府を再興する
という意思を明確にしました
その後義昭は越前の戦国大名である
朝倉義景のもとに身を寄せ
庇護を受けることになります
そして1568年に元服しこのとき「義昭」と
名乗るようになりました
将軍となるためには京都へ上洛する必要があります
義昭はその実現のため、上杉氏や武田氏など
各地の有力大名に協力を求めました
しかし多くの大名は動かずその中で義昭の要請に
応じたのが尾張の戦国大名織田信長でした
信長は義昭を奉じて上洛を開始し
各地の勢力を打ち破りながら京都へと進軍します
そして1568年義昭は信長の支援によって
京都に入り朝廷から征夷大将軍に任命され
室町幕府第15代将軍に就任しました
本来であれば、ここから義昭は将軍として
幕府の再建を進めていくはずでした
しかし実際には次第に信長との関係に
亀裂が生じていきます
やがて義昭は信長の勢力拡大を
警戒する大名たちと結びつき
信長と対立する道を歩むことになります
こうして将軍と天下人の関係は
協力から対立へと変わっていくのでした
というのが今回までの動き
畿内を手中に収め上洛を果たした信長は
小一郎らに新たな命令を下す
第11回「本圀寺(ほんこくじ)の変」
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
「【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!第10回」へのコメント
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